HOME > 13hw編集部ブログ > ★編集部スタッフが綴る★渡邊:クロネコヤマトの宅急便(09.01)
こんにちは!13hw編集部 大学生インターンの渡邊です。
クロネコヤマトの宅急便ってご存知ですよね?
今となっては日本中誰もが知っている宅急便。
しかしやり始めた頃はとんでもない苦労があったんですよ。
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考えたことはありますか?
1960年頃、青森のおばあちゃんが沖縄に住んでいる孫のためにりんごを送りたいって思ったらどのような輸送手段があったのでしょうか。
答えはありませんでした。
よく考えたらこれは当然といってしまえば当然なのかもしれません。
その頃は民間の企業にしてみたら個人を相手にする輸送は偶発的でつかみづらく、仕事にならないと考えられていました。
青森のおばあちゃんは孫にどうしても自分が作ったりんごを食べさせたいと思っても諦めるしかなかったのです。
しかし、このような人のためになんとかしてやりたい!
そう思って立ち上がったのがヤマトの2代目社長の小倉昌男でした。
小倉昌男は役員会全員から反対されましたが、彼の熱意や当時(1960年頃)のヤマトの状況を考え、とうとう宅急便を始めることとなりました。
宅急便なんて成功するはずもない!と言って会社を辞める人も少なくはなかったそうです。
もし自分がヤマトの一員だったとしても宅急便なんて成功するはずないと言って会社を辞めていると思います。
よく考えてみてください!
今となっては宅急便は大成功して誰もが知る会社となっていますが、普通に考えれば青森から沖縄まで翌日配達なんてしてたら赤字なんて話じゃないですよ。大赤字になってしまいます。
それなのに小倉昌男は宅急便を成功させるに至ったのですが、その成功要因はいったいなんだったのでしょうか。
「サービス第一、利益第二」
彼はこの言葉をとても大切にしていました。
宅急便は必ず成功すると信じて、そのためにはサービスをよりよくし、多くのお客様にこのサービスを活用してもらおうと考えたのです。
そのためには最初は利益なんて考えない。きっといつか宅急便が全国区になって利益だってでるはずだ、と信じていました。
しかし、営業初日の出荷個数はたった11個です。
普通なら諦めたくなる数字ですよね。でも諦めなかったんです!
そして現在、みなさんが知っているクロネコヤマトの宅急便にまで成長したんです!!
青森のおばあちゃんからりんごが送られてくるのは今の人はなんのありがたみがなくごく普通のことに思ってしまうかもしれません。
でも青森のおばあちゃんも沖縄の孫もりんごを送ることができる、ということに感謝をしてみてはいかがでしょうか。
私自身、月に一度くらい実家の福島からお米が送られてきます。
はじめはそれが普通のことに感じていましたが、小倉昌男の苦労などを知って今はそのことにたいへん感謝をしています。
んー…言葉足らずでイマイチ伝えたいことを伝えられていないような気がします。笑
暇なときにでも小倉昌男の書いた本を読んでみてはいかがでしょうか?というか是非読んでほしいですね。
特に中・高生くらいのみなさんにとっては、きっと何か将来に生かせる一冊になっていると思います!