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もっと教えて!フォーラム
回答・コメントする(No.12149)
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回答は、基本的には、その職業の方(または経験者、相応の知識を有する方など)にお願いしております。
しかしながら、なかなか回答のつかない質問もあります。
投稿されてから2週間経っても回答がつかない質問に関しましては、職業などに関係なく、ご回答のご協力をお願いしたいと考えております。 -
白書の皆様におかれましては、貴重な時間を割き、子どもたちの質問に丁寧にお答えくださったり、叱咤激励してくださって誠に感謝しております。
このようなお願いをするのは大変恐縮なのですが、勇気を出してこのサイトに質問を投稿してくれた子ども達に、よりよい情報を提供したいと考える当サイトの運営ポリシーをご理解・ご了承いただけますと幸いです。
向いてる事の見つけ方(好きな事と向いてる事は違う)
[Q] 現在大学2年生です。表題の通りで、向いている仕事が解りません。
私は、書く事が好きで新聞社で政治部で記者職のインターンシップをしたり、IT企業で某ニュースサイトの編集を行ってきました。
また、高木徹氏の「戦争広告代理店」を読み、国際政治をダイナミックに動かす役割をひとつ、担うPR企業にもインターンとして働かせて頂いたことが有りました。
前者での新聞社でのインターンシップでは、取材先の都合の良い(角が立たない書き方)表現をしたり、IT企業のニュースサイト至っては、どこのポータルサイトもモラルハザード状態です。既存メディアの記事に依存したり、面白おかしい記事や写真を紹介するなどと言った、とてもではないですがジャーナリズムが見受けられない事ばかりでした。
・その時に、嫌がる取材相手を無理やり話を引き出そうとする事や、それを元に記事を執筆する事がそこまで好きでは無い事が解りました。
・また、編集者など、利害関係を元に記事に見せかけて広告記事を書く様な事、また、細かい作業は、生理的に苦手だという事が解りました。
後者のPR企業では、米国のPR企業と日本のPR企業の実態が全く異なりました。いわゆる日本は「電通文化」という風土がある為、日本のPR企業は、各界の名だたる事業会社の広報の下請け会社として顎で使われます。
自分達の上司に渡す資料を代わりに全て代行してパワーポイントで作成したり、「事務屋さん」と言うのが実態でした。
好きだ、と思ったら向いていない。「仕事だ」と思って社会に、企業に、与えられた仕事に、上手く適応しようと我慢していたら、じんましんが出来てしまったり、10円ハゲになってしまいました。
憧れや好きで飛び込んだのに、実際は自分が思う事とは全く違う現実だった、と言うのは正直良くあると思います。
ただ、私の場合、じんましん・10円ハゲといった身体面・健康面に影響が出る程、上手く社会に適応できません。
したがって、向いている仕事を探そう、と思ったのですが…。そもそも他の業界(興味・好きでも無い分野)から、向いてる物を探す事に、てこずっています。
こんな時、どうやって、向いている(GDPに繋がる)事を探したら良いでしょうか。
長文の上、乱文でごめんなさい。宜しくお願い申し上げます。
市紀様
お返事有難う御座います。そして、遅れてしまい、申し訳御座いません。インフルエンザにかかっていて、暫く寝たきりでPCに触れませんでした。本当に申し訳御座いませんでした。
お返事拝読しました。恋愛って、
・片想いになって
・告白して
・両想いになって
・付き合って
・ケンカして
・乗り越えて
・もう一度、もっと仲良くなって
・親友の様な絆になって
・結婚
この過程を経て、結婚するのかと思いました。
でも、自分の人生の「If」の為に結婚をしておくために、予め男性に目を付けておく。自分の生存競争の為に「恋」ではなく、人生のリスクヘッジの為に「戦略」として結婚する。
話は逸れますが、大学のOBやOBの同僚が私の事を好意的に見てくれる男性が居ました。多分、私が尊敬している眼差しになってたと思います。なので、「遊べる」と思ったのでしょう。強引な事をされそうになって、頭を下げて慌てて食事の場から出て、気が付いたら1人で帰る方向の電車に乗り込んだ事が有りました。あと、20代後半や30代の男性が結婚前に最後に一回、「そういう事」をしておこうとして強引な事をしようとされた事も、何度かありました。
社会人の先輩として尊敬していたのでショックだったことが何度もありました。
中には強い女の子は「わざとそういう関係にさせておいて、『奥さんや家族にバラす』と脅迫?して金を巻き上げるとかしないの?」と言います。でも、私には、できませんでした^^;ちょっと極端な例でしたが…。あともう一つ。
開業医育ちで、祖父母・父・妹も同じ職業についている医師の男性(29)がいました。その男性は明らかに「結婚」に焦っていて、私の事を惚れた・好きなのでは無くて、「結婚」をするために「この子を好きになろう」と頑張ってるのが私には伝わってきました。私は、最初から、その方の事は、尊敬と言うよりも、年上の友達としてしか見れなかったので、恋愛には勿論、発展しなかったのですが…。
正直言って、その方と結婚したら、所謂富裕層の暮らしを送る事になるだろうし、我儘だって出来る。仕事でバリバリ働いて、自分も社会の一員として自立した女性というよりも、「その人を尽くす貢献型の妻」になるんだろうな、と思いました。
けど、私には、友達としか見れなくて。
※念の為に言っておくと、その方は、まじめで、一労働者としていつも気苦労が絶えない方でした。私といる時は、沢山医療業界のカラクリや職業の裏話も教えてくれたり。グチ話も新鮮な話で、聴き込んでいる自分が居ました。
その方は、大学院に残って研究している方だったので色々と大学院の話も聞けて、よき先輩と言った所ではありましたが…。でも、やはり、良き友達であり、研究科は違う路ではありますが「大学院生」の先輩として有難いお友達でした。
好きでも無い人からの「結婚」アピールには、愛想笑いが精いっぱいでした。腰を触ってきたりするときも、嫌で嫌で、気持ちが悪かったです。友達だと思ってたのは自分だけだったのだろうか。と、ショックでした。
結局、その人はちょっと飛躍した行動にでて、付き合っても無いのに、二人で旅行企画を立てたり、都内の実家に私を招こうとしたりと…怖くなって。私も怒ってしまい、その方の何が私を不快にさせたのか、自分の思いを伝えて絶交しました。
でも、人生の「If」を考えた時、身が焦がれるような恋や片想いに頑張るよりも、「妥協婚」という言葉もキチンと念頭に入れておかなければならないのだな、と覚悟をしようと思います。
恐いし、気持ち悪いし、悲しいけれど、人生の為。生きていくには、仕事と同じ位、必要な事ですよね。
話は戻りますが、大学院に進学しても恐らく、期待通りの就職は難しいのかな、と思っています。「職場結婚」や「同業他社の方と結婚」「同業に近しい方と結婚」が理想かとは思いますが…。いかんせん、一番初めに書き込んだ相談内容がボトルネックの為に、「そこまでたどり着くだろうか」という不安があります。
耕介様の仰る、ストレスを乗り越えられる様な「意義」(山を乗り越えて心地よい疲れを経験出来る様な?)のある仕事
まこ様の仰る、雑誌や専門誌からのアプローチ(探しましたが、なかなかありませんね^^;)を今、対応中です。
そして…市紀様の仰る理屈も、解るんです。女性の先輩は、「今までハイスペックの男性を見てきた・付き合ってきた・友達に持ってきた分、民度を落とす事は出来ない。民度の低い男性は、私の時間ペースが、のんべんだらりとした…イライラする要領を得ない人生。それは、無理。」と言っていたのを聴いたことがあるので、そうなんだな、と。
男性が先か、職業が先か。
大変迷う所では御座いますが、取り敢えず、綺麗事抜きに男性と「恋に落ちてしまう」のではなくて「結婚」を意識して「恋をしに行く」姿勢で頑張ってみようと思います。医師の友達の様に。

LOSAさん
ぶっちゃけ言ってしまえば、「結婚して永久就職の道がある。」というのが主題ですが、貴方が目指している「修士」を取ってしまう女性の場合、男性が担う「家庭力」も奥様が取る場合もあります。
子供が産まれたら、旦那に仕事を休んで貰って、奥様の方がバリバリ働くのです。
もし、「修士」を取るとするとなると、結婚する男性側にも「修士」を求める可能性も高いのです。
女性が大学出身者で、男性が高校卒というカップルは難しいです。逆はいけますけど。
口を悪くして言ってしまえば、男性側の「知識」や「知恵」や「知能指数」が低いのに、女性側が惚れる理由が見つからないのです。
「学位」や「修士」など、男性側が持っていない称号を得た場合、恋愛として難しくなることと、あと、今できる男性側へのアプローチをやっておくことです。
私のコメントはちょっと恋愛方面になってしまって、あなたにとって有用かは分かりません。
私は比較的偏差値の低い高校を卒業していますので、会社に入った時は、同期などからかなりバカにされましたが、貴方の場合、それもないでしょう。
社会不適合者が大量にいる中で、あなたは立派です。
もっと自分に自信をもってもらっても構わないのではと思います。
最後に・・・。
99%の人は後悔します。
(100%に近いかもしれません。)
「あの時に戻れれば・・・。」と誰もが口にします。
そして、お勧めする生き方としては、何かを決断するとき、
「私は、これをこうする・・・。後悔はしないな!」
と毎回宣言することです。
私は、車を運転するときに、毎回のように宣言しています。
「アクセルを踏み、加速する。先に老人がいてひき殺してしまう可能性があるが、それでも後悔しないな。」と宣言するのです。
正直、貴方が思ったような答えは私は書けないかもしれませんが、
30代になると、IFが何度も頭をよぎります。
あの時、あの仕事をああしていれば・・・。の連続です。
後悔だけはしないように、これからの人生を歩んで貰えればと思います。
以上です。
まこ様
アドバイスを頂きまして、誠に有難う御座います。たった今、PCを開いて、まこ様からのアドバイスを拝読し、目から鱗が落ちたようです。
「書く事は手段」であって、「何を伝えたいのか」。私はその大切な所が欠落していました。私が一番興味・関心が強い分野は、「教育心理」「イジメ問題」「『女の子』や『女性』の人間関係」「DV」「犯罪心理学」「美容医療」「発達障害」「脳神経科学」「行動心理学」です。
自分の日常に、身近に起こった事や、TVを通じて「他人事とは思えない」と深く共感したテーマを特に真剣に取り組み、文にして「伝えよう」と必死になります。
実を言うと、ジャーナリズムでのインターンシップを薦めてくださったのは、大学の先生だったのです。「うちの大学には枠は無いけれど、公募でやってみない?」と言ってくださったのがきっかけでした。
そもそも、私が「自分は書く事が好きなのかな」と思ったのは、大学入学したての頃でした。「教養一般」の授業でたまたま、割り当てられたクラスで、私が書いた「慷慨が解りやすい」と、クラスの先生に(少人数ですが)皆の前で大きく褒められたことが、嬉しかったんです。
テーマは国際紛争や国際開発問題、ジェンダー問題であったり、学部上、国際関係にまつわる様々な内容です。皆が解りにくいと思う内容を、解りやすく書き起こす事。それがきっかけでした。
次第に、「感想としてはLOSAさんは、どう思う?」と聞かれて、自分の意見(と言うよりも、まるで、野次馬ワイドショーで解説するかの様な程度でしたが)を言って、それも共感を受けて、嬉しくなったことが、「書く事」「その事について自分の意見を伝える事」が好きになりました。
ただ、まこ様が仰る様に、「あなたが伝えたい事は何なの?」という事が…正直申しますと、私には欠けていました。
今までは与えられたテーマがあり、調べて、書いて、コラムの様に感想も少し伝えて、自己満足に浸っていました。その一方で、自分にとって興味が無いテーマですと、まるで筆が進みません。
それは、自分の興味の事のある事だけにしか筆が進まない、「オピニオンサイト」で「言いたい事を言う」という意で「書く事が好き」なのでは…とも思っている自分も、正直にお話すると自分の中に居ます。
先に挙げた自分の興味・関心のあるテーマは、本当にバラバラです。教育分野から医療分野まで幅広く、いわゆる、教師でもなければ医師でもない。なのに、知的専門職の方々から見れば素人の人間が情報収集して、事実を書いて、考えをまとめて…。「ブログでも書いていたら、いいじゃないか。」と半ば自分に呆れてしまいました。
※医療系の雑誌編集者・記者も考えましたが、製薬会社のリーフレット作成という意味の「編集」が多かったり、パブ記事作り、製薬会社や医師の「ちょうちん持ち」が多いという現実を知りました。大手新聞社に入り、そこで配属された部署(科学・教育・社会)や、各々のの媒体の持つ専門雑誌に配属される為にも…と考えたのですが、その第一歩である政治部でジャーナリズムの現場でメンタル的に値を上げてしまった事実を考えると、アプローチは失敗だったかもしれません(苦笑)。
まこ様のアドバイスにも御座いましたように、ちょっと軽めに「趣味系」の専門誌を視野に入れてみようかな、と思います。
有難う御座います。またもう一度拝読し、改めて考えを練り直してみようと思います。

こんにちは、LOSAさん。
私は、雑誌でライターをしたり本を書いたことがあります(ここ2年はしていませんが)。
LOSAさんは「書くことが好き」ということですので、そのあたりから回答しますね。
LOSAさんは、主にジャーナリズムの分野でインターンを経験されたようですが、
「書く仕事」というのは他にもたくさんあります。
多くの「書く仕事」から見れば、ジャーナリズムの世界はむしろ特殊な世界かもしれません。
もし、まだ「書くことが好き」で、そしてジャーナリズムでなくてもよいのなら、
別の「書く仕事」にチャレンジしてみるのもよいかもしれません。
たとえば、趣味系の専門誌のライターになると、ライターに与えられた裁量は大きく、
わりと自由に記事を書くことができます。
その趣味の分野の専門家となり、同じ趣味を持つ読者に情報を発信できるのです。
おもしろいことに、専門誌のライターは書くことが苦手な人も少なくありません。
しかし、ありあまる知識と情熱だけで、なんとかやっていけたりします。
「書く」ことは、しょせん何かを伝えるための手段にすぎません。
それよりは「伝えたいこと」を持っている人が、いい仕事をします。
LOSAさんが書きたいこと、伝えたいことはなんですか?
その原点にもどって、伝えたいこと、好きなことにチャレンジできるといいですね。
市紀様
アドバイスを頂きまして、誠に有難う御座います。私は、いま学部2年ですが、卒論だけでは研究したい分野などが不十分だと考えているので、大学院進学を検討しています。※元々中学生の頃から修士号は欲しかったので。
なので、社会に出たら、上手くストレートで行けば24歳、30歳までの6年間の間に結婚して永久就職しておけば良いのでは?という事でしょうか。
民間企業でサラリーマンとしてではなくて、知的専門職として生きない限り、「結婚」という逃げ道に入るしか、少なくとも今の私には無いのかもしれないな、とも思いました。
耕介様の仰る通り、自分の「意義」(業界での職種)を見つけない限り。
社会貢献する職業が解らず、五里霧中になっている私にとっては、女に産まれて、不謹慎ですが「不幸中の幸い」なのかもしれませんね。

市紀と申します。
いろんな方が回答されていますので、私は違う考え方から回答いたします。
女性蔑視をするわけではありませんので、まず最初に断わっておきます。
女性の場合、社会にでて働くのは大学生なら22~27,28歳くらいです。
その数年間のために、大学に入り、勉強するというのが、女性の現実です。
私がいた職場でも、社内恋愛で籍を入れて辞めていく人は何人もみました。
貴方の場合、実際の職場が薄汚く、罪深いもののようなものに思えたのでしょうけれども、それがなんですか?
けがれを嫌なものと感じるのか勲章と感じるかは人次第です。
社内の汚いところをみて、それに精通していくことを喜びと感じる考え方もあるのです。
また、貴方は気付いているかと思いますが、好きなものと仕事としてマッチンクグするかは違うのです。
SEやプログラマの寿命は30歳までというのが昔ありました。
現実だと思います。世の中はインターネットの発達によって、ここ5年くらいは莫大な情報の渦に飲み込まれ、「ビッグデータ」などと言われるようにまでなりました。
哀しいことに、男性は仕事から逃れられませんし、女性は家事から逃れられません。
女性で大学卒。それは、近くに隣接してた大学の男性との結婚の可能性というものが高まります。
私からは小難しいことはどうでもいいので、「短い人生」を有意義に過ごしてもらえたらと思います。
そして、世の中の9割の人は、自分が就きたい仕事になんか就いていないことを憶えておいてください。
中学校レベルの学習内容が分からず、結局はレベルの低い高校を出て、つまらないどうでもいいようで、なんだかんだ言って日本の中核を担っている人もいます。
小学校で3割、中学校で5割、高校で7割の生徒が学習についてけれいません。
大卒で金型屋になることはないでしょうけれども、上流工程をするとなると、大企業で、応用職というのが筋かと思います。
私の予想では、短い社会人人生になるかと思います。
30歳まで籍を入れ、仕事がから抜けると思います。
冷たいようですが、長期的に責任がかかる仕事に従事させにくいのが「女性」とう立場になります。
まずは、10年先を考えてみてください。
以上
耕介様
お返事頂きまして誠に有難う御座います。自分に欠けていた部分が沢山書かれていて、お教え頂きましたアドバイスをノートにメモをしたので、これから整理します。
結論から申しますと「苦労や努力を続ける動機が保てるような業種を選ぶのが私はおすすめだと思います。 」この業種はいったい何なのか。これが一番私の中で考えさせられる課題です。恐らく、「心地よい疲れ」を経験した事が無かったからかもしれません。
インターンの他の生徒たちは、最初でこそ私と同じ気持ち・意見を内輪で言いつつも、「それはそれとして」と割り切って仕事していました。具体的な話は割愛しますが、インターンという名目でも高いアルバイト料・料亭(学生なのに)に行かせて貰ったりと、待遇面で「良し」とする生徒たちが少なくなかった事も、影響していたのかな、と(勝手ながら)思っています。
彼らは仕事もそれなりにこなしていました。取材相手に暴言を吐かれても笑い話にしてしまったり、取材相手に泣かされても、その事を武勇伝にして語り合うインターン生。
同年代なのに、ツーカーで、細かい作業も、優先作業もマルチタスクで同時に業務をこなす、優等生ばかりでした。一方の私は…あっけらかんと出来ず、でも大企業に守られている自分と言う世間における存在感や、自尊心が満たされる安心感。
でも仕事の事や向いてない事に関してが、どうしてもボトルネックでした。
私は、「周りの環境が合わないだけだ」とか「非日常的な世界は好き。世界と繋がっていて、自分の存在意義が確認できるし、こんなにやり甲斐の強いものは、他にはない。」けど、「細かい作業が苦手」「抽象的な会話や指示が解らない」と言った問題に、自分は「適応障害」か「アスペルガー症候群(軽いスペクトラム?)」、或は両方なのかもしれない…と落ち込んで、今に至っています。
耕介様の仰る通りで、「自分に合う仕事・負荷が軽い仕事」は両立しない。このことに気づかず、悶々と、マッチングする仕事を探していました。けれど、それは不毛だという事に早く気づく事が出来て、本当に良かったです。助かりました!教えて頂き、本当に有難う御座います。
自分なりに何がストレスになるのか。
・職場の雰囲気でストレス(人間関係・暴言的な言葉)
・質でストレス(即時性が求められ、且つ細かい作業や抽象的な会話や指示が飛び交う事)
・量でストレス(長時間労働・急な呼び出し等)←これは苦ではないです。
私は、やはり、世界と繋がっている時事の仕事や、仕事をしない理由を見つける必要が無い(医療・子どもの教育)が好きです。給与の最低限はいくらなのか・自分にとってのストレスな何か。それから、「好きで飛び込んだから、多少の恥・不正・理不尽なら我慢する」この限界点は自分にとってどこなのか。
よく考えてみたいと思います。
色々とメモにまとめて、考えてみたいと思います。
※具体的にアドバイスを頂けて、本当に目から鱗でした。自分の為にも、精神科、心療内科や、脳神経科学系、産業医系の学会に参加し、勉強したいな、と思いました。
はんがん様
前回は、寝ぼけ眼で頭が働かないまま、直ぐにお礼のお返事・乱文を送ってしまい、ごめんなさい。
私は、憧れや大義を抱いて「マスメディア」の世界に、字のごとく「飛び込んで」しまった状態でした。なので、実態と理想(それも私の勝手な)の乖離があまりにも広がっていて、我が強い私の性格では、無関係な人々にまでメディアスクラムをして非礼をすること、意地悪な編集をして数字・売り上げを挙げる事にもどかしい気持ちで一杯でした。
一方で、大企業のブランドで、同業他社のどこよりも給与が良くて、その理由も「政治家や取材相手に金を渡された時、俺達記者がなびかない様に、俺達もそれなりの高い給料を貰ってるんだ。比喩用経費だ。」等と言っていた事に驚いたことが有りました。しかし、言葉では「それは正当化です。開き直りですよ。」と言いつつも、そんな人たちと一緒にいる優越感さえ抱いている自分も居ました。
うまく八方美人に慣れればいいのに、と思うも、社内にとめどなく来るクレーム客や、取材相手の泣きながらの電話・FAXに軽く対応している社員を見て、「正義とかジャーナリズムと言いながらリンチではないか。」と思ってしまいました。
けれど、はんがん様の仰る通り、「現実」を知りました。外資系メディアの日本人記者(元局長)に相談すると、「貴方はなんやかんやで、マスコミ側の人間なんだよなあ…。それは解るんだけど、何か貴方に出来る仕事はあるかな…。」と仰っていたのが印象的でした。
どろどろと、悪い所を知りました。自分の弱さも知りました。もう少し詰めて、考えてみたいと思います。
はんがん様、本当にどうも有り難うございました。

私はちょっと違った視点で助言したいと思います。
ご相談の趣旨は「好きなことをインターンシップで経験してみたら、大変な裏が見えてきて、自分に向いているとは思えなくなり、これでいいのか不安になって悩んでいる。」ということですね?
では逆に、あなたが言う「自分に向いている仕事」にインターンシップで運良く巡り会えた場合、あなたはどう感じ、何を根拠に「向いている」と判断するのか、考えてみたことはありますか?たぶん、「やってて楽しい。」とか、「やり甲斐がある(成果が実感できる)。」とかではありませんか?もしそうなら、逆説的な話になりますが、その「向いてる」はたぶん長続きしないし、早晩、飽きてしまうだろうと私は思います。なぜなら新入社員のレベルに「向いてる」仕事は、初心者でもできる仕事、裏返せばあなたが先輩になったとき、物足りなくなる仕事ということですから。
あなたはインターンシップで一見華やかに見える業種の普段は一般人がかいま見ることのない裏側を見て、ストレスを感じ、身体に異変を生じたということですが、精神科医の立場から表現すると、それは「身体化が起こった」あるいは「心身症に陥った」ということです。これは「辛いストレスを我慢しすぎて、身体症状が出た」ということ、さらに言い換えれば、そのストレスを引き受けたくないと体と脳が嫌がって拒絶しているということに他なりません。厳しい言い方をすれば、やり甲斐は欲しいがストレスは嫌という発想の前提があるということです。
しかしこの世の中、どんな仕事でもやり甲斐や楽しさは、困難を乗り越えたり、前よりも成長してスキルがアップしたりしたときにしか感じられないものです。小学生の算数ドリルで満点を取れても、やり甲斐や喜びを感じられる大人は少ないのと同様、困難が皆無かつバランス感覚の舵取りが全く不要であって、同時にやり甲斐や楽しさを感じられる仕事など存在しません。誰でもできる仕事、辛くない仕事をやりたいなら、その分、低い待遇や早晩飽きてしまうという宿命を免れられません。逆にやり甲斐や楽しさを求めるなら、困難な局面で逃げずに、それでいて気負わず淡々と対策を練り、淡々と実行を積み重ねて最後に来る喜びや達成感を味わうしかありません。両者は両立しない選択肢なのでいいとこ取りは不可能であり、いいとこ取りを求め続けることは不能解を求め続けるということになりますから、決して結果を生まないことにエネルギーを注ぎ続けて勝手に自滅的な消耗を積み重ねるだけの徒労に嵌り込んでいるということです。そのことに気付けないと、悩んでる自分に酔ったまま時間だけが過ぎ、消耗が進んで行くだけです。
自分の職業を考えるとき、人はよく「自分に合った仕事」を探しますが、その背景には、「損はしたくない」「できるだけ辛いことは避けたい」という自己保身や怠慢の心理が潜みがちです。でも入社時点で「合っている」仕事など、ありえません。入社してから苦労や努力をして成長し、「自分を仕事に合わせていく」発想が大事であり、その苦労や努力を続ける動機が保てるような業種を選ぶのが私はおすすめだと思います。
あなたに「気づき」と覚悟が芽生えることを祈念しています。
はんがん様
お忙しい中、ご回答を頂きまして誠に有難う御座います。生意気な質問であること以上に、「やけくそ」状態にある私の悩みに、誰からも回答いただけないのでは、と心配していたので、とても嬉しかったです。
さて、御指摘にも御座いましたように、私には「文章を作る事は苦手」な時が確かに御座います。何度も読み返し、読み手に伝わりやすい様な文章を書いてみたり、どうやったら相手が共感を呼ぶような文章になるのか…などと言った構成したりする事も、あります。
けれど、「自分事」の悩み、とりわけ見当が全くつかない五里霧中状態であると、「こうした文章を作る事が苦手」になってしまいます。
「出来るだけ、自分が置かれた状況を全て説明しよう。そして読み手が感じ取った事を率直な意見を、知りたい…。」そんな思いから、前回、この様な文章構成になってしまったのかもしれません。
>情報を発信することで利害が発生する人が必ずどこかにいる。
クロスオーナーシップの事ですね。私が疑問に思ったのは、建前は「ジャーナリズム」と言いつつ、実際は利害関係を意識し利益を上げるために働く記者達は、最早サラリーマンだと思いました。
・社に沿ったオピニオン
・紙面を広げると2面を使って広告
・パブ記事
これは、為政者やキーパーソンとなる人達の広報紙じゃないか?と思ってしまいました。
※また、取材相手に意地悪な質問をして、前後の脈絡なしに言葉を編集し、面白おかしい記事になった時も、「なんて酷いんだろう」と思いました。たまたま、一部のデスクの判断かもしれません。それを偶然私が知ってしまっただけかもしれません。
>その事実と自分が持つ情報の価値を正しく計ることができる人が、報道の世界でいい仕事をする方です。
こういう記者の方が1人、いました。私のインターン担当の記者の方で、今は海外の支局長をしています。詳細は省きますが、地方に配属された時の話です。
「某地方自治体が国の規定を守らない村社会な所が目立った県に配属された。しかし、国からの規定無視をした事で「命」が助かった大きな事件・事故があった。本来は地方自治を大体的に責めることが出来る注目度の高い批判記事に出来る。けれど、僕には悪い事だとは思えなかった。でも記者としては批判するのが「美味しい」。どういう書き方をすればいいのか。悩んだ。結果、僕は、自治体を称える書き方をした。東京に戻ると白い目・怒鳴られた日々も辛かったけれど、いまだに某県からは、やり取りが続いている。」(だいたいの主旨)といった事です。
綺麗事を貫く事の難しさを知りました。私は、多くの大人は結局お金・会社に弱くて「利害」を優先して、本来書くべき内容をいかに角が立たない様に書くべきか記者の腕の見せ所、と言った様な事は残念がら…その方一人でした。
一方、メディア・コングロマリット化した企業は多く、また、ルパード・マードック氏が率いる米国のメディアも世界中の情報規制を行っています。ワッチドッグのはずが、ペットドッグになっています。記者クラブ制度は日本独特、と言いますが、先にも言った様に、海外の方が余程ひどく癒着が強いです。「どこの国も、結局同じなんだ…」と思った時、私は、ジャーナリズムの意義を失ってしまったわけです。
代行屋さんについてですが、事業会社や代行屋を雇う側としては「無くてはならない」存在だと思います。事業会社の社員が規則の為に、6時には強制帰宅を強いられるのにたいし、社内で常駐して深夜まで働く「代行屋さん」の姿を見ると、本当に格差を感じてしまいました。
確かに、「無くてはならない社会の一部」かもしれませんね。
ごめんなさい。お返事を頂いて、直ぐに回答のお礼をしようと思ったのですが・・・・。
バイト明け・1限の間に、すぐに返事を書こうとしたあまり、頭が上手く回らず、また乱文を書いてしまいました。
改めて、またお礼の書き込みをさせて下さい。ごめんなさい。

こんにちは。あなたが実際に文章を書くお仕事に関係したことを前提にして、コメントします。直球です。
1.あなたの質問文を読んで最初に感じたのは、
「あなたは文章を書くことは好きかもしれないが、文章を作ることは本当に苦手そうだな」ということでした。
2.こう書くと、あなたは少し傷つくかもしれません。私は感じたことを率直に書いたつもりでも、他の当事者あるいは第三者から見ると、それは違う印象を持たれるかもしれない。ジャーナリズム(マスコミ)というのは多かれ少なかれそういう一面を持ちます。
私は日本のジャーナリズムの貧弱さを弁護するつもりはないのですが、一方で報道に関係する方が全く制限なしに情報を発信できるということは、世界中のどこにもありません。あなたが情報を発信することで利害が発生する人が必ずどこかにいる。その事実と自分が持つ情報の価値を正しく計ることができる人が、報道の世界でいい仕事をする方です。
(見方を変えると、受け手側もそれに見合ったレベルで情報に接するだけの素養が必要なのですが、今の日本に…という話はここまで)
あなたの文章を読んで、私は上で述べたような部分をもっとよく勉強してから、改めてこの世界にチャレンジしたらいいのでは、と感じました。
なお、あなたが「事務屋さん」と呼んだ仕事は、企業やそれに類する団体に勤める限り、必ずついて回ります。一種の下働きですが、それができることは、社会の歯車として必要不可欠の素養です。
3.ここで「社会の歯車」という言い回しに、あなたがどんな印象を持つかがポイントでしょう。そんなのまっぴらごめん、もっと自由にクリエイティブに生きたい、と感じるのも自然です。
ただ一つだけ覚えておいてほしいのは、「社会の歯車」となるのもけっこうたいへんということです。世の中、普通に生きるということが実は一番難しい。毎日満員電車に揺られてなんだか元気のないサラリーマンの皆さん(私もそうです)が、如何に努力して日々の仕事をまわしているか、インターンをしていた頃のあなたは少しでも考えたことがありますか?
だから「社会の歯車になれるよう努力しなさい」と言いたいのではありません。あなたは、そうした(普通の)お仕事・生活に満足できるのか、それとも別の生き方に魅力を感じるのか、どちらと思いますか? とりあえず、そういう視点から自分の生き方を考える機会を持ってみてはどうでしょう。いつもと違う場所に立つのも、時には必要でしょう。
ちなみに、ごく個人的には、ジャーナリズムの世界はどっぷりと「社会の歯車になる仕事」だと思います。