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回答・コメントする(No.7290)
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教師になりたいのに判らなくなってきた。
[Q] 高校生になって始めての学期がもうすぐ終わろうとしています。
私は何度もここでお世話になっているんですがずっと教師になりたい、その夢に向かって高校受験を乗り切り、今も勉強だけはと頑張っています。
クラスでも学級役員をしたりなどで人前に出ることやボランティアなどを通してたくさんの人々と触れ合ったりして将来に役に立ちそうなことは何でもやっています。
でも、先日期末テストが終わり、結果は悪くはなかったのですが自分の将来なりたい教師の科目(家庭科なんです)が悪く、元々得意ではなく好きな教科だったので、私はどうして家庭科の教師になろうと思ったのかという疑問が頭から離れず・・・困っています。
教師はやはり好きより得意を取るべきなんでしょうか。
人に物を教えるのは大好きで、数学などはクラスでもトップなのでよく友だちに教えたりしています。
何より、教師になりたいと思ったのはイジメを受け、不登校になりそんな時救ってくれた先生がいたから・・・でもよく考えるとその先生が家庭科だったから家庭科になりたいと単純に考えているような気もするようになりました。
教師は好きと得意どちらを取るべきなんでしょうか?
教科を選ぶ基準など教えてもらいたいです。

大変ご無沙汰しておりました。
実は、長期療養休暇を頂いて、職場を空けておりました。
編集部の方々には、休暇中、温かいお言葉を頂き、何よりの薬となりました。
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
中学も、夏休みに入りましたので、また、お邪魔させていただきたいと思っております。みなさま、どうか、よろしくお願いいたします。
♪なほ♪さん へ
お久しぶりです。私自身のことを話します。
わたしも、「教師になりたい」と本格的?に思ったのは、高校1年の夏休みでした。
では、何の教科の?…実は、そこのところははっきりしていませんでした。
今でも、生徒たちから「どうして社会科の先生になったのですか?社会科が一番得意だったのですか?」と学期のはじめには、必ず訊かれます。
私は、中・高を通して、教科の得意な順では「音・英・国、そして社会…」でした。
しかし、大学受験の時、どうしても法律が勉強したくなり、法学部に進学しました。
従って、教員免許状は、「社会」となっているわけです。
教科に対する興味と職業に対する興味は「平行」ではなかったわけですが、それは、それでよかったと思っています。
もちろん、社会科の教師になってよかったとは思っていますが、他の教科でもよかったと思っています。
中・高は、「教科担任制」ですが、教師としての「人間の幅」は、もちろん、広い方がよいと思います。地理の授業でALTの方と英語で話したり、歴史の授業に音楽を取り入れてやったりもしますが、すくなくとも、自分としては、楽しく仕事が出来ていると思います。生徒も喜んでくれていますから…。
社会科は家庭科とも密接な関係があります。学習指導要領で学習内容が定められていますが、内容によっては、家庭科と社会科の間を行ったり来たりしているものもあります。
だから、「教員になりたい」という熱意さえ強くもっていれば、との教科にも、それぞれの面白さがあるわけで、きっと素敵な教員になれると思います。
教員には、実は教科指導以外の公務もたくさんあり、そのことも授業と同じくらい大切であることは、皆さんがおっしっやているとおりです。
私は、今、生徒たちに「フォロワー・シップ」をことあるごとに指導しています。
良いリーダーだけでは、良い組織(例えば、良い日本)はそだちません。上手に他人をフォローするということが、これから求められると思うからです。
病休後の初回答なので、何だか冴えませんが、また、質問があればどうぞ。
たくさんのコメントありがとうございます。
学期末で色々忙しくなかなか来ることが出来ませんでした。
ちょうど学期末に学校近くの駅前で大学進学相談会があり、そこに参加してたくさんの大学のお話を聞いてきました。
余計に気持ちが揺らいでしまいそうになったのも事実です、某大学で養護教諭が今後活かされてくるよと言われると養護教諭でも生徒とは関われるんだなっと思ったり・・・気の多すぎる人だと改めて思いました。
時間が無いのでまとめての返答で本当に失礼だとは思いのですが・・・お許しください。
中学のときは絶対家庭科の教師になりたい、衣食住という毎日の生活から逃れようと思っても逃れられないことを生徒達に教えると同時に人生の生き方が色々あるんだと知ってもらいたいって背伸びしたことを言ってました。
そのため家庭科しか考えず、今までやってきました。
というより教師になりたい、いろいろな生徒とであって、生徒と一緒に楽しむことは楽しんで、悪いことは悪いって言ってあげられる、辛いときは裏でしっかり支えてあげられる教師になりたいって思っています。
その気持ちは今でもぶれることなく、それだけが救いのような気がします。
皆さんのたくさんの意見を少しずつしっかり考え本当に自分の歩むべき道を見つけられるようにこの夏休みを有意義に過ごそうと思っています。
コメント本当にありがとうございました。
これから時間があればお一人お一人に返事させて頂きます。

こんにちは。
ひさしぶりにのぞかせてもらいました。
まっすぐに心の中にあった目標が
ふときらめきを失う時ってありますね。
迷いが生じ、悩み苦しむもどかしさ、
及ばずながら想像させてもらいました。
以前、教員になってからの研修で
中学の先生が模擬授業をしてくださり
「春」という詩のもやもや感、いらいら感を
「うらやましい」と表現されたことをふと思い出しました。
思春期の爆発的な感情の高ぶりや不安は振り返った時にこそ
その価値がわかるのだと。
そうです。
そんなあなたが私も今「うらやましい」と思います。
仕事に忙殺されながらも
目の前にあること一つ一つを片づけて
子どもたちの笑顔に支えられる毎日を
自分なりにいとおしく思っている私ですが、
ここに至るまで一般的には人より多くの寄り道をしてきたものです。
まったく回答になっていないかもしれませんが、
今、まよっていること、
未来について真剣に向き合っているその行為そのものが
後進の生徒、子どもたちに向き合う糧になるのではないでしょうか。
あなたの目的が 教師 になって
不登校の子どもたちにかかわり導いていきたいということなら
家庭科であろうが数学であろうが、
かまわないのでは。
持論ですが
教える力は才能ではありません。
どちらかというと不得意だったもののほうが
努力で切り開いてきた分
「わからない立場」にたって
筋道をつけて明確に案内ができると思うのです。
自分の周囲の若者を見ていると
とかく最短距離を行きたがる傾向にあると思います。
ここで繰り返し言っていますが
人は自分の生きてきた人生をもとにしか
語ることはできないので何とも言えませんが、
自分からあふれるものを思い切って突き進んではいかがでしょうか。
もし突き進むうちに道を間違えたと気づいたら
元に戻ってやり直せばいいと思います。
迷った時にはしっかり悩み、
気がすんだらしっかり決断して
まっすぐ歩いてください。
GOOD LUCK

♪なほ♪さん、はじめまして。
キンゾウと申します。
私なりの結論から申し上げます。
どっちでもいいと思います。
好きでも得意でもいいのではないでしょうか。
大切なのは情熱と熱意です。
それと、人の人生に多かれ少なかれ影響を及ぼす職業の一つですので、
その責任感を持つことです。
半端な気持ちで教師をするのは、私から言わせてもらえば犯罪です。
係わった生徒の人生を台無しにすることもあるのですから。
教師にとって教科指導は仕事のほんの一部に過ぎません。
教科指導は勿論大切です。
しかし、それ以上に大切なのは生徒指導です。
不安定な時期を過ごしている生徒に、どれくらいのアドバイスができ、それを生徒がどれくらい聞いて生かしてくれるか。
是非、教師になって日本、いや世界のどこかでお互い頑張りましょう!

こんにちは。「好きこそものの上手なれ」とか「下手の横好き」などとよく言いますね。一方、「得意」という言葉を身近に扱った言い回しってあんまり聞かないような気がします。私の思い過ごしかもしれませんが。
「好き」という感覚は、他のどんな感覚よりも一段大切に扱われることが多いと思いませんか? 私は勝手に思っているのですが、それは、「好き」という思いは世の中でもっとも前向きで、誰からも喜ばれることが多い感情だからではないでしょうか。その思いをあなたはもっと大切にすべきだと、私は思います。
あなたは教科としての家庭科や数学科で、どんなことを生徒に教えたいと思いますか? それとは別に、一人の教師として、どのようなことを生徒に伝えたいと思いますか? 今のあなたで想像できるかぎりでかまわないので、じっくりゆっくり考えてみてください。たぶん、幾つも考えが浮かぶと思いますが、次にそれらを「好き」と「得意」のどちらかに分類できないか、ぜひやってみてください。
…たぶん全然分類できないのではないでしょうか。私はそれがごく自然だと思います。
他の回答者の方の文章が間違っているとかいうことを言っているのではありません。あなたが自分の進路を選択するのに、「好き」と「得意」の二つで決めることはかなり危ういよ、ということを、どこかで思い出してほしいと申し上げたいのです。
他者に何かを教えるには、相手よりその事項をよく知っている(理解している/よく実行できる)ことが求められるでしょう。でも、それだけでは他者にその魅力を伝えることはできません(単なる説明になってしまいます)。また、自分がその事項をどれだけ大好きだったとしても、それだけでは相手にその項目を教えることはできません(単なるPRになってしまいます)。つまり、知っているや大好きだ、という思いのもう一つ上に、別の何かがあって、むしろそちらの方が大切なのかもしれません。その何かがどれだけ魅力的かが、あなたの教師としての素質を、ある程度規定しているはずです。
さっきの作業をずっとやっていくと、家庭科と数学科であなたがどんな教師になりたいのか、だんだん見えてくると思います。あなたはどちらの教師に学びたいと思うでしょうか? もし、どちらかがより好ましいと思えたなら、その教科を目指す方が、あなたにとっては幸せな経験が多くなるかもしれません。でも、それが全てではないということも、同時に覚えていてほしいと思います。

"教師は好きと得意どちらを取るべきなんでしょうか? "
得意です。
得意=強みです。つまり、これだけは自信があるということです。
自信があるからこそ生徒にその科目の重要性・面白さを伝えたいと思うのでは
ないでしょうか。
でも、真剣・慎重に判断して欲しいと思います。
人を育てる、一番重要な仕事に就くのです。何が大切かわかっていますか。
つまりそれは貴方自身の生き方・考え方を伝え、人生いかに生き抜くかを
生徒に伝えることなのです。担当した科目を教えるだけではないのです。
生徒は常にとても冷めた眼で教師をみていると考えた方が良いでしょう。
貴方はリーダーを目指しているのですが、くれぐれも勘違いしてはいけないことは、
決して自分が皆を引っ張って行こう、教えてあげるなどと考えないことです。
真のリーダーとは、将来リーダーとなる人を育てる人のことをいうのです。
生徒の気持ちをよく汲み取り、常に相手を認め、共感する姿勢が必要です。
だからこそ本当に自分が教師になって良いのか、その資質があるのか、
自分に問いかけてください。人を育てる仕事に従事することは大きな責任を
伴います。
人が仕事に関心をもつことには、さまざまなきっかけがあります。
その大きな要因に自分の目標となる人との出会いがあります。
特に自分が人生で一番困難なときに手を差し伸べてくれた人との出会いが
運命をわけることになります。その感謝の気持ちを忘れないでください。
科目ではなく、貴方が苦しい時に状況を良く理解してくれ、立ち直りを支援
してくれた教師に自分もなりたいと思ったら、一生懸命勉強し、出来るだけ
沢山現場経験を積み、生徒と触れ合うと良いでしょう。知識だけでは、生徒は
貴方に関心を持たないのです。貴方の人となりを常に観ています。
本気で教師を目指すなら、今日から日記をつけると良いと思います。
生徒の眼からみた教師の姿を書き残すのです。そして何時か貴方が教師に
なった時にその記録を読めば、一生徒の視点がわかると思います。
客観的に眼の前の教師と自分を見つめてください。
責任を自覚し、それでもなおチャレンジしたいと思ったら、今から準備してください。
常に自分が目立つのではなく、何時か自分をコントロールでき、真の傾聴力が身につくと、リーダーに一歩近づけます。人間として成長してくるからです。
沢山の人との出会いが貴方の成長につながり、そしてまた運命を決定づけるのです。
大人との出会いだけではありません。
生徒・友だちとの出会いも大切にして欲しいと思います。