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HOME > 特集記事 > この人に聞きたい! > 第7回 : 冨田勲氏

この人に聞きたい!

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第3章 本物は残る 〜感受性が動機となる分野で〜

びしびし指導することで感化される分野ではない。感受性が強く響いて動機になっていく。

僕の場合、人に、特にこうしろ、ああしろという指導はしていないんだけれども、話をするうちに周りが感化されちゃうみたいなところがあるみたいですね。

初めてシンセサイザーを買って試行錯誤をしていた頃に、僕の二人の子どもは中学生と高校生だったと思います。特に息子には「こういうふうに生きろよ」と言ったことは一度もないんだけれども、自分の生き方が何か影響したのかなとは思いますね。今、息子[冨田勝氏・慶應大学先端生命科学研究所所長・環境情報学部教授]は遺伝子の研究をしています。遺伝子の世界は、息子の話を聞いていると面白いよ。音楽も「神の世界をのぞく」と表現している人がいるけれども、あの世界というのはさらに面白い。

若い人たちに説教じみた言い方で、こうすべきだとか、なせばなるとか、僕の場合はそういったものじゃないですからね。指導というのは、びしびし指導することで感化されるかといったら、そうでもないから不思議なものです。スポーツの世界は一つの技術だから、卓球の福原愛ちゃんなんて、幼い頃からすごい教育をされてきているし、演奏家も大変な訓練をする必要があるけれども、絵を描くとか作曲するとか何かを研究するというのは、それとはちょっと違うよね。感受性が強く響いたところが、動機になっていくようなところがあるのかもしれない。

まねをされても、消えないものは消えない。だから、消えないものになるべきだと思う。

音楽業界に携わりたい人に向けては、やっぱり“好きなことはとことん”というメッセージかな。僕もとことんやろうと思ったわけじゃないんで難しいけど、ただ、中途半端にするのが駄目なことは確かです。

僕がシンセサイザーでオーケストラと似たような音をつくったときに、オーケストラのユニオンから反発を食らってね。似た音をつくるとは何事だと。でも、それをやったから仕事がなくなるという考えがおかしい。

面白い話があって、87年ごろにLinnという会社が「リアルドラム」というドラムそっくりの音が出るリズムマシンを開発したんです。そのとき、スタジオで働いているドラマーたちは職を失うのではないかと戦々恐々となった。ところが、ロサンゼルスにいるあるドラマーが、それを使いこなせるようになったんです。すると素人が打ち込んだドラムの音と、プロの感性で打ち込んだ音は、コンピューターの音になっても歴然と違うんですよ。しまいには、その人は仕事が増えて、録音のときに「今日は、生演奏とリズムマシンのどっちでやる?」って聞くようになったそうです。

そうすればいいんですよ。もっといい演奏をするなり、機械を使いこなせばいい。「シンセサイザーで打ち込む音に負けてしまうからやめてくれ」とは情けない。後ろ向きの考えでは駄目だと思います。まねされたって、消えないものは消えない。だから、大変だけれども消えないものの部類に入るようになるべきだと思う。

一方で、シンセサイザーのほうも、本物のストリングスに出ない世界をつくってやろうというぐらいでないとね。本物らしく、だけれども本物よりもさらに膨らませた世界を狙わないといけない。追従するだけでは本物以上の音は出ないと思います。

これからの一時期は、録音するために演奏して、それを売って収入を得るという方法は、難しくなると思う。録音したものを複製することを防御するよほどの科学的なものができない限り、ダウンロードをしたって、それが簡単にコピーされるわけで、それでは、もう作り手に印税は入ってこない。そもそも音楽というのは、昔はその場で演奏して消えてしまう、次に聞きたければ、もう一回演奏するということをしていた。だから、録音したものからお金を取るということはどういう意味を持つのか、また消えないものとは何か、しっかりと考える時期だと思う。

追求心の源にあるもの 〜さらなる音の拡がりを求めて〜
タンチョウヅルが春を待たずにシベリアに向かう。それと何か似ているのかなと思うね。

僕がオーケストラの生演奏では満足できずに、それ以上の音を求めていったその追求心の源があるとしたら、「表現したい」ということでしょうね。要するに画家の使うパレットのように、音を使いこなして表現をしたかったということだと思います。シンセサイザーを見て、「どんな音が出るんですか」「何種類ぐらい音が出ますか」と言う人がよくいるんだけれども、それは画家のパレットを見て「このパレットは何色の色が出るんですか」と質問するのと同じだと思うんですね。

それは、チャレンジとかね、人と比較して「あいつがここまで行ったから、おれはどうだ」とかいうことじゃないんですよ。自分はやりたいからやっている。ただそれだけだな。登山家のマロリーが言ったように「そこに山があるから登るんだ」。そういう言い方をするよりしようがない。あるいは、北海道にいるタンチョウヅルが、春を待たずにシベリアに飛んでいっちゃうでしょう。途中の日本海に落ちたら魚の餌になるしかないけれども、それでも海を渡ろうとする。遺伝子のなせるわざなのかな。似ているのかなと思うね。

だから、僕は、どうしてもそのまったく反対にいるニートの話なんかが理解できないんだよ。だって、時間がいたずらに過ぎていくわけでしょう。そうすると、若いうちはいいかもしれないけれども、40、50歳になって誰が助けるのかな。親がいれば、しようがないなと思いながら面倒を見てくれるけれども、親がいつまでたっても生きているものじゃない。これは日本全体にしても、ちょっと大きな問題だよね。

最近、シンセサイザーも安くなって、10万円以下でも相当な機能がついているし、サラウンドのミキシングがノートパソコンを使ってできるでしょう。どこかの温泉にノートパソコンを持っていって、そこでヘッドホンで聴きながら仕事ができちゃう。画家が絵の道具を持って旅行するのと同じように音楽が持ち運びできるんですよね。だから、一方的に音楽を聴くだけじゃなくて、そういう手軽さを積極的に利用する。そして、よし、おれもやってやろうと本気になって取り組む、そういう若い人たちがこれから出てくるといいんじゃないでしょうかね。

電気を使うシンセサイザーは、古典的な自然の音だと思うんですよ。

最近、僕には楽器とシンセサイザーとの区別がなくなってきたんです。これは電子音楽です、これは楽器です、これは千年も昔の琵琶ですという区別はないんです。だから「源氏物語幻想交響絵巻」のときも区別なく使いました。シンセサイザーの音が入ったときも、みんな気がつかなかったんじゃないかな。

シンセサイザーが扱う電気そのものは、実は自然のエネルギーなんですよ。僕らの生命をつかさどっているのも電気ですよね。心臓が動くのも、洞房結節という発電機から筋肉を動かす電気が出ているからでしょう。

シンセサイザーは、たくさんの装置をつないで電気の波を変えて、それを聞きながらイメージどおりの音をつくっていくものです。もともと自然に存在する電気の習性をうまく利用しているわけで、昔は水車で動かしたと言われるパイプオルガンと比較したら、電気を使うシンセサイザーの音だって自然の音だと思うんですよ。

だって、雷は純粋な電気の音ですからね。その存在は火山活動より早かったんじゃないですか。楽器というのは吹く、こする、たたく、そのどれかで出来ていて、火山活動の音は、まさにそれです。太古の昔、雷が生まれた後で火山活動が始まったわけで、こじつけみたいに思うかもしれないけれども、電気による音楽は最も古典的だということになる。だから、僕は、人工的な楽器だと言えないものはないと思うね。パイプオルガンにしたって、バイオリンにしたって、フルートにしたって、要するに加工していますよね。だから、それぞれを生かせる分野で、楽器なりシンセサイザーなりを使いこなすことで表現範囲が広がると、聴く人も楽しめることになるんじゃないでしょうか。

結局、僕は音について、遺伝子や宇宙と同じように人智を超えたものだから興味を持ったのかもしれませんね。そういう神秘や不思議というのはすばらしい。解明されちゃったら、世の中、面白くなくなっちゃうでしょう。謎のままでもいいんですよね。

そして、誰の心の中にも宇宙は、あるんですよ。