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もっと教えて!フォーラム
回答・コメントする(No.958)
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いつも、子どもたちの疑問にお答えいただき誠にありがとうございます。
13hw編集部より、ご回答くださる際のポリシーに関するお願いです。
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回答は、基本的には、その職業の方(または経験者、相応の知識を有する方など)にお願いしております。
しかしながら、なかなか回答のつかない質問もあります。
投稿されてから2週間経っても回答がつかない質問に関しましては、職業などに関係なく、ご回答のご協力をお願いしたいと考えております。 -
白書の皆様におかれましては、貴重な時間を割き、子どもたちの質問に丁寧にお答えくださったり、叱咤激励してくださって誠に感謝しております。
このようなお願いをするのは大変恐縮なのですが、勇気を出してこのサイトに質問を投稿してくれた子ども達に、よりよい情報を提供したいと考える当サイトの運営ポリシーをご理解・ご了承いただけますと幸いです。
小学校の英語必修化に賛成?反対?
[Q] 今、全国の9割以上の小学校で、なんらかの形で英語の授業が行われていて、文科省も、来年度から、全国の国公私立小学校の約1割の学校に外国人指導助手を配置するなど必修化に向けた環境整備を進めています。
ところが、伊吹文科相は先月27日、「小学校では外国や外国語に興味を持つ程度にとどめ、自国語をしっかりやるべきだ。その上で、中学校から国際感覚を磨き、外国語をマスターしていくのがいい」と述べ、必修化は時期尚早との考えを示しました。
[b]あなたは小学校の英語教育の必修化についてどう思われますか?[/b]
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英語を話せないより話せたほうが世界は広がります。ただ、小学校で必修にしたから話せるわけではないことには留意したいと思います。これまで日本人の多くが大学受験で時間かけて英語を勉強したのに、英語を話せている人は驚くほど少ないと思います。
日常生活で使える英語を小学校で学べるのなら大賛成です。

ヨシさん
15年も前の質問に回答して頂き大変ありがとうございます。改めて回答者の皆さんの貴重なご意見を拝読しました。年齢的にも精神的にも若かった皆さんがそれぞれの回答を読み直し今ならどんな回答をなさるのでしょうか。私は今でも反対です。英語の前に日本語です。私の住むカルフォルニアで日本人駐在員の子供たちの多くは週末に日本語学校に通学しています。中途半端なバイリンガルにならぬ様に頑張って欲しいものです。人工知能やインターネットの普及により15年前より英語学習の方法は大きく変わりました。ネットで検索すれば世界中とつながります。日本語を学びたい外国人と英語を学びたい日本人が容易につながる時代になったのです。学びに年齢は関係ありません。すでに小学生から将来の目標が世界に向いているのなら世界共通語になった英語を学ぶ機会を保護者の皆さんが与えてあげて下さい。15年前の小学生と今の小学生を比べたら格段の違いがあると思います。皆さんの知らないところで何でも情報を収集しているのです。出来るだけ天真爛漫にやりたい事をやらしてあげる環境を与えて下さい。二度とこの時代は戻らないからです。きっかけは何でも良いのです。例えば海が眼の前に広がる街で育った私は単純にこの海の先に何があるのか知りたい。その為に英語が必要だと考え中学生の時にメルボルンに住む同世代の子供と文通を始めました。つたない英語でした。でもその当時は長じて仕事の関係で欧州に住む事になるとは想像出来ませんでした。コツコツと学んだ英語が私の人生を切り拓いたのです。人生に無駄なことなど何もありません。皆さん頑張りましょう。

私は、反対です。
そもそも、英語教育に反対です。
なぜなら、ユネスコでは、すべての民族の文化の理解と尊重ということが謳われています。言葉は一番大事な文化です。世界には2000から5000の話し言葉あると言われています。英語教育をすることによって、英語が世界的に優れた言葉だという誤解を生みだします。世界の2000から5000ある言葉に優劣はありません。世界でよく通じる言葉として、ITの世界での共通語として英語を学ぶとしても、世界で話されている2000から5000の言葉には、優劣はないということも同時に教えないと差別や蔑視につながります。ですから、今の日本の英語教育には反対です。
僕は、賛成にしました。
中学でつまずく人が多いので小学校から簡単な英語教育が必要だと思います。英語は、世界共通語です。必ず役に立つと思います。小学校から少しでも覚えさせれば、中学校で復習になって楽だと思います。

反対です。
理由は二つあります。
一つ目
今の学校教育における英語の役割は明治時代からずっと変わっていないと思います。明治時代の大学における英語の役割は海外の優れた文献を翻訳し学ぶことにありました。その時からの流れは現在でもあまり変わっておらず、大学に入るためには伝統的に翻訳英語が必要です。
大学入試は近年多様になってきましたが、まだ翻訳英語を課すところが多いように思います。大学が翻訳英語を課すため高校→中学と翻訳英語を基本とした英語教育が出来上がっています。その流れの中で小学校から英語を学ばせる理由が見当たりません。まず大学入試制度が変われば高校中学の英語教育がかわるでしょう。(現在変わりつつあるといえるかもしれませんが)その後に小学校でも必要となれば小学校でもやればよいのです。まだその段階には至っていないと考えます。
二つ目
せっかく小学校で英語に触れる機会をつくっても、現在の日本では生活のなかで実践する場が限られています。都市部では外国の方の観光客や労働者の方々も多いかも知れません。私の住むような片田舎ではせっかく英語と触れ合っても生で英語を喋る方と触れ合う機会が生活の中にないのです。そのような環境の小学生に貴重な授業時間を使って必修で学ばせる必要性・必然性が見出せません。

この問題は、「ハローワーク」と大いに関係がある、と思ったので、回答しました。上のゆでダコさんの意見に、少し付け足しです。
就職や進学の際、その職種や学部が英語と直接の関係のないものなら、英語の入学・入社試験は、「学生時代のノルマをどのくらいこなせたか」というバロメーターに過ぎないのだと思います。
しかし、現状では、難関といわれている多くの大学で、英語の配点が他教科の倍程度になっているところも多いです。勢い、そういう大学にはいるために、英語に力を入れている高校に入りたい、入れたい、従って、そういう高校にはいるためには、中学からでは遅すぎる…みたいな、一種の「習い事感覚」みたいな面が英語教育論、特に早期教育肯定派にはあるのではないでしょうか? 「大学入試の英語は、選択科目にする」という風になったとき、これほど英語教育論議が盛り上がるでしょうか?
ちなみに、文科省の学習指導要領では、中学の教科の配列は国・社・数・理・音・美・体・技・技家で、「英語は選択科目の外国語の中の一つに数えられている」科目だというのを、というのをどのくらいの方がご存知か…

自分はどちらでもないです。
どうせ文科省が導入する英語教育なんて、実社会で使えない学習内容ばかりでしょうから。どうせなら中学や高校での英語教育も無くして(受験科目からも外して)、英語は会話中心のコミュニケーションを図るためのツールとしての教育に変えるべきです。
自分が小学生の頃は英語教育は勿論ありませんでしたが、親が英語の物語や音楽を聴かせてくれてたので、それが功を奏してか英語が大好きになったという経緯があります。そういう意味では小学校から(早いうちから)英語に触れる機会を増やすのは良い事だと思います。

編集部さんへ
現行の週時間数、授業体制のまま、ということであれば、小学校の英語必修化は支持しません。
①誰が英語を教えるのでしょうか?
今の小学校教諭には「英語」の教員免許を持っていらっしゃる方は、極めて少ないと思います。小学校ではすべての教科を教えることができますが、現行の教員で「英語科教育法」の講義を受けられた方は、いません。つまり、限りなく「無免許運転」に近い。
道路交通法なら、「処罰の対象」になっているところです。
②いつ教えるのでしょうか?
国語力の低下、理数ぎらい、運動不足…等々根小学校にも学習上の課題は山積しています。その上、英語を盛り込む余裕など根実は今の小学校にはないのでは、と考えます。
③英語の重要性は、これからも続くでしょうか?
国の政策は、後付のことが、ままあります。マスメディアなどでは、「経済のグローバル化によって、アメリカ中心の経済は、間もなく終焉を迎える」とも言われています。
いつまでも英語、英語でいいのか、という疑問が残りまするいっそのこと、中国語かロシア語を必修にした方が、日本経済には役立つのでは、とさえ感じます。
どちらでもありません。
僕も伊吹文科相と同じく、小学校では外国や外国語に興味を持つ程度にとどめ、自国語をしっかりやるべきで、その上で、中学校から国際感覚を磨き、外国語をマスターしていくのがいいと思います。僕は小学生が「英語」ばかりをして「日本語」の使い方をおろそかにすると大人になってから大変だと思います。だから、小学生の時はABCぐらいとappleやhallo程度でいいと思います。
話を少しそらしてしまうのですが、こういう英語必修化などを考えるより「モンスターペアレント」や「学校の耐震化」、「生徒の心のケア」、「いじめ」などの問題を解決しないと、英語の必修化など失敗すると思います。

反対です。
使える英語力は、早期に英語に触れたから身につくものではなく、きちんとしたトータルな英語教育を一定期間受けることによって身につくことです。そして、日本人がこれだけ英語教育を受けながら話せない、聞けないなどの問題があるのは、まさに「受験英語」の弊害といえます。
小学生英語は、問題の原因を履き違えた、まったく頓珍漢な政策といえると思います。h
私は、「どちらでもない」派です。何故かというと、私たちの母国語(日本語)はもちろん大事です。しかし外国語、特に、たくさんの国の人が話す英語も大事だからです。日本にもたくさんの外国人が来るようになりました。何か話しかけられたときに、「分からない」「英語は無理」という人ばかりでは、悲しくありませんか?声をかけた外国人は何と思うでしょうか。中学校でも「何を言っているのか分からない・・・」ではかなり困ります。でも、英語ばかりだと私たちの母国語が疎かになる・・・という気がします。私は小学校では、1ヶ月に1回か2回ぐらい英語に少し触れる、という感じにして、中学校に備える程度でいいと思います。

まず母国語で考え、書き、話すことができなければ第2ヶ国語は習得する意味がないと思います。生まれた場所が日本以外の場所だと、日本人はすぐにその人を「英語ができる」という目で見ますが、場所や環境が偶々違っただけで、本質は日本人なのですから日本語をきちんと身につけることが第一だと思います。中途半場な語学習得ほど恥ずかしいものはありません。

英語だけ早くから勉強してもダメ。日本語ができないと英語もできませんよ。逆に、本などをよく読み国語の力のある人は遅く英語学習を始めても上達が早いんです。お遊び程度なら構いませんけど、本気だとしたら愚かなこと。

優柔不断ですが、「どちらでもない」に一票。
まずは母国語をしっかりと勉強して欲しい。
自国の言語や文化を身につけていないと国際人云々とかいっていられない。
一方、これから少子化が進んで日本の人口が少なくなれば、
海外とのやりとりを増やさないと生きていけないという現実もある。
小学校から必修化という方策はなんだか中途半端に思える。
第2公用語にしてがんがんやるか、中学生からの英語教育を根本的に変えるか、、、、。
最悪なのは小学校から必修化しても受験英語ばかりで本当の英語力がつかなかったときだろう。
逆にいえばやり方次第では効果がありそうだが、文科省でできるのか。
現状では小中学校でそんなに頑張らなくても高校あたりで一年くらい留学したら
そこそこ話せるようになるのだから、それでいいんじゃないの、という気がしたりする。。。

小学生の娘2人を英会話教室に通わせていますが、小学校の必修科目として導入するには時期尚早なのではないかと思います。
グローバル化が顕著な現代では、確かに世界共通語である英語は必要かもしれません。
私の夫も、仕事の都合で海外とやり取りする時に、それはひしひしと感じると言っています。
しかし英語(外国語)は、あくまでも母国語の基礎の上に成り立っているもの。
まずは、母国語である日本語をキチンと使えるように教育する事が先ではないでしょうか。
現に、母国語の基礎ができていない人は、いくら外国語を勉強しても、たかが知れているのだそうですよ。
バイリンガルを目指すあまり、日本語もろくに使えない日本人だらけにならないように政府にはしっかりと先を見据えて欲しいですね。
僕は反対で。
現在ゆとり教育で週5日制の中でさらに教科を増やしても混乱するだけかと。
ゆとり教育を行なってから学力の低下がさらに進行していると聞きますし。
それに英語を学びたい子がいれば英語塾もありますし。

反対です。
その前に、日本語力をつけたほうが良いと思います。
正しい日本語を義務教育の間にしっかり身につけるほうが先だと思います。
その場に応じた言葉や表現の使い分け、他人が何を伝えようとしているのかを行間から理解するといった応用力は、単に読み書きが出来るという以上のことであり、実社会はこの応用力のない人は痛い目を見ます。
日本語は、日本に生まれれば自然に身につくと思ったら大間違いです。
また、母国語での表現が上手く出来ない人は、外国語でも上手く人に伝えることは出来ません。日本語で自分の言いたいことを文に出来ていないのですから当たり前です。
また、「英語は世界の共通語」という一般論も個人的には「?」です。確かに、他国で英語を解する人の比率は他の言語よりも多いでしょう。しかし、それは結構いい教育を受けた人たちについていえることです。英語が恐ろしいほど通じない国の方がむしろ多いと思います。

反対ですね。
英語を習う事自体は、別にどうでも良いんですけど
昔からよく言うじゃないですか、国語、数学、理科、社会ってね
その後に来るのが英語だと思うんです。
でも学校では、体育も家庭科も大事な授業もあります。
やっぱり英語は、その次辺りでしょう。
英語を習う事は、悪い事ではないと思いますが
やはり国数理社体が出来た後に来る科目と思うので、必修にするのはどうかなと思います。

国語が先…というよりか、何語でもいいけれども、自分は何をどう伝えたいのか、という、自分の中に沸き上がる何かしらの熱意を持てるような人物に育てるための教育が先なんじゃないかと思います。
自分から学びたい!と思ってはじめた第二外国語は、3年で日常会話には支障ないレベルにたどりつきました。
やりたいと思いさえすれば、吸収力は大きく違うのだな、と実感したのがこの時。
…なにしろ私、小学校1年生から学校のカリキュラムで英語があった環境でしたが、中学に入ってはじめて英語に触れて、「英語って楽しい!」って思った子達の伸び率の方が断然高かったのを記憶しています。
無理矢理嫌いな科目を増やすよりも、モチベーションを高める方向のテコ入れの方が重要なのではないかと個人的には思います。

どちらでもない。
必修にした際に、小学校の段階で変な教育が行われてしまうリスクがあります。
きちんと体制を整備し、先生の教育をしたうえでならいいんじゃないでしょうか。
まず、英語を嫌いにならない、楽しくなるような授業がいいね。
反対です。(条件付で)
今の英語学習も、(自分は中学二年で、今まさに英語を学んでいるところなんですが)「なにに焦点をおいてやっているのか」、つまり「今日の授業のポイントはどんなところにあるのか」がまったく分からず、クラスの半分の人がまともに授業が受けられない(今何をしているのかわからない)状態です。それにもかかわらず、「英語学習を小学校でやる」だなんて、ますます英語への苦手意識を生むんじゃないでしょうか?もっと政府は、偉そうなことを言ってないで現場を見て、現場の先生方と話し合うべきです。

まず日本語をしっかり勉強することが大切だと思います。母国語で自分の考えを整理して他人にわかるように説明できなければ、いくら英語がしゃべれてもきちんとしたものの考え方ができない中途半端な人間になってしまうと思います。日本人として自分の国の大切な文化をしっかり学び、世界に誇れる古典文学・古典芸能等についてしっかり知識を持ってからでも遅くないと思います。
昔何かで読んだのですが、イギリスだったと思いますが、紳士たるものシェークスピアについて一家言を持ち他人と会話ができる位の教養が求められていたと書いてあったと思います。今の日本人で大学を出た人は数え切れない程いますが、日本の文化について他国の人に説明できる人がどの位いるでしょうか。
自分の国の言葉をしっかり学んだ上でからでも英語を学習しても遅くはないと思います。
参考に11月7日の朝日新聞の夕刊にピーター・フランクル氏の論説が載っていましたが、彼もやはりしっかり日本語を習得することが大切だとおっしゃっていました。

自国語での論理的思考ができてこそ、外国語を用いての意思表明ができるものです。
小学生の間に教える必要性が感じられません。
それ以外に覚えるべきことがあるので、現状でも問題はないと思います。
それでも早くから勉強させたいのであれば、親の責任でさせるべきだと思います。
早くから勉強をしてもしなくても、本人のやる気がなければ外国語での意思の疎通はできないと思います。

当然賛成です。反対する意味がわかりません。日本のグローバル化は進んできたと思いますが、島国故どうしても他国言語の習得が苦手な国だ度思います。むしろ、小学生からというよりも生まれたときから英語学習をする!位の国の方針をつくってもいいくらいです。そうしなければ日本がこの先先進国として、リードしていくことは出来ないでしょう。

日本語の勉強はとても大事だと思います。まず、基本は母国語だと思います。でも、世界の共通語(=英語)は、読めたほうがいいし、書けたほうがいいし、話せたほうがいいと思います。しかも、言語に対する好奇心というものは、個人差はあると思いますが、幼稚園(年長さん位)~小学校の頃が最も旺盛だと(我が身を振り返っても)思います。このころに、ある程度の刺激を加えてあげるのは、とてもメリットのあることだと思いますが、いかがですか?
賛成。
でも教育の方法をもっと考えてほしい
効率的でなおかつ楽しみながら覚えられる授業にして欲しい。
小学生時代から始めるというなら
英語に興味を持たせる程度の内容でいい気がする

基本的に反対。
いまさら?なぜ?既に遅すぎる・・・・!!!
理由その①
日本国内での英語教育はもはや大学受験の為の英語教育に墜落しており、しかも、世界に通用しない英語を教えているということである。
なぜなら、だいぶ以前に、あるテレビ番組で、アメリカの英語教師が英語科目の大学受験のみを受けたものの、全員不合格になってしまったからである。受験後、彼らの口から発された言葉は「これは英語ではない!」と言い切っていた。
本気で英語をやるなら、海外留学をお勧めしたい。これは、単なる語学留学のみならず、ホームステイでも何でも良い。
要はそういった、異文化、異言語環境に自分を慣れさせる事であり、将来、外国語を利用して仕事をしたいと思うのであれば、ありとあらゆる可能性が探せばあるだろう。少なくとも、日本の学校教育全般において、私が小学生の頃から既に崩壊しており、未だなんら改善されていない、こんなていたらくな日本に愛想を尽かせ、さっさと外国へ移住した方が、余程ましである。
理由その②
現在の日本国内において、ありとあらゆるカタカナ外国語が氾濫し、普段知らずに日常的に使用され続けているが、これは、当然、英語ではなく、和製英語、または日本国内だけで通用する合成造語であり、これを英語に言い換える必要がある為だ。
例えば、スキンシップ(skinship)は「《1》肌の触れ合いによる交流という意味の「スキンシップ」は skin(皮膚)と -ship(状態,関係)から作った和製語とされている.
《2》英語では physical contact,body[bodily] contact,さらに広い意味では personal contact,close contact などというが,いずれの表現にも「スキンシップ」のもつ「ぬくもり」のニュアンスはない.」(引用はパソコン用ソフト、グランド辞スパ version1.5 学研より)
その他、様々な和製英語を英語に翻訳したウエブサイトが下記にありますので、ご参考にどうぞ。
http://www.nsknet.or.jp/~hide0508/student/vocabulary/japanese.html
理由その③
英語は、世界共通の言語でも、国際語でも無く、一民族の言語に過ぎない事を認識する必要がある。
日本政府は国連(国際連合)の常任理事国入りを熱望しているが、その国連でさえ、その公用語は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6カ国語を使用して活動しているのである。
また、例えば、旧ソ連邦諸国や東欧など旧共産主義諸国では、体制崩壊前までは、ロシア語が必須であり、英語などは第3外国語として小学校から学んでいたところもあるし、その他の外国語も自由に選択可能だったようだ。
実は、私は20年以上前から、英語以外の外国語、ロシア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語などを独学し、海外文通も実践してきた。
海外文通をする際には、ある本に、非英語圏の人と文通するのが良いと書かれていた。
なぜなら、スラングなどを使用しないからである。
そこで、私は非英語圏の特にロシア、ウクライナ、ブルガリア、旧ユーゴスラビア(セルビア)、チェコ、スロバキア、ポーランド、フランス、ドイツ、スイスの人達と海外文通をしてきた。
英語は、私が文通をしてきた国々に限って言えば、どの国の人でも、手紙を書く上では絶対に必要な為、向こうの人は書かざるを得なかったらしく、たどたどしい英語で書いてきた人もいたが、私にも十分理解できる内容だった。
ただ、これらの国々のどの人にも英語が通じるとは限らないし、少なくとも東欧諸国の一般の人達の間では、今現在でも英語は通じないと認識しておく必要があるだろう。(あるブログ投稿サイトに、チェコにビジネスの為に訪れた日本人男性が、チェコでは英語が通じないと書いていた。)
スイスでは、その国土をドイツ、フランス、オーストリア、イタリアに挟まれている為、私のペンパルは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語の4ヶ国語で手紙を書いてきたこともあった。
結果論・・・。
なぜ、いまさら英語だけに限って小学校から必須にする必要があるのだろうか?
さっきも言ったが、英語は一民族の、コミュニケーションとしての一言語に過ぎない。
諸外国を理解しようとするのなら、むしろ非英語圏の国々の言語を教えるべきである。
例えば、いまや、日本に滞在している外国人の殆どが中国人であることを考えれば、中国語を必須にしてもおかしくは無く、英語だけを必須にするのは、日米同盟のアメリカ寄りの、日本の国益を最重要視し、反映した結果であろうと考えざるを得ない。
中学・高校で英語を学び、実際話せる人は何割いるのだろうか?試験英語なら必修は意味なく、無駄な授業を受けるだけです。中途半端な日本語を話し、意味のない英語を学び・・・。日本の語学教育は世界でも最低水準じゃないですか?私は高校のときに留学生とろくに会話も出来ない英語教師に教えられていたので余計にそう思うのですが・・・。
反対です。日本語を理解せずに英語を学んでも意味がないと思います。
それでなくても週休2日制やゆとり教育によって学力低下が問題視されていますよね。
現代の学校は予備校化していて、子供の長所や学力を伸ばす教育が本当にされているの?と思ったりします。
ちいさな頃から覚えさせて、グローバルに、と考え英語を習わせても
子供が興味がなければさせたいとも思いません。
子供には習わせるつもりもありません。習いたいというものを習わせてあげるつもりです。
私が中学生時代に学んだレベルはアメリカなどの国々では幼稚園レベルだとも言われましたし、
発音も全然違います。
そんな授業なら必要ないです。

:blank: 所詮、学校で「教えて」も、役には立たないでしょう。
語学としての英語を小学校から教えるの早いし、道具としての英語は、学校の中で使いこなすには、環境があまりにもお粗末。
反対しても、そのうち必修科目になるのでしょうが、喜ぶのは、教材会社だけ。
放っといても、今の子達は自然な英語をテレビやDVDで見聞きできるのだから、
授業で英語に点数をつけて嫌いにさせるより、それを活用したほうが良いんじゃないかと思います。

現在海外で働いていますが、英語は習うものではなく慣れるものだと実感しています。
例えば、ネイティブスピーカーと英語でゲームをしたり歌を唄ったり、休み時間感覚での英語なら大賛成です。
ですが、現在の日本にはそこまで柔軟に対応できる教育制度は構築されていない気がします。
英語なんて、その気になって1年でも留学すれば話せるようになります。
教わるだけ、つまり受動だけでは何の意味もないことは、今の日本人をみれば一発で分かります。
まずは日本人としての基本的な人格、常識やマナーを身につけることが先決ではないでしょうか。
伊吹文科相のご意見に賛成です。
「小学校」というのにそもそも無理がある気がします
まだまだ人間形成で、身に付ける事、覚えなければいけない事柄が多い年齢です
「英語に触れる」程度でしたら良いでしょうね
そこから楽しく覚えられる範囲でしたら
ですが今の学校教育の中「必修」にするには難しいのではないでしょうか?
お勉強さえ出来れば・・・とい大人たち(保護者)の考え方自体を正さないといけません

【反対】
確かに一部の帰国子女のように、小さな頃から外国語を話せるのは良いのかも知れません。しかし、小学生から英語を教えたところで「知らないより知っている方が良い」程度の事なのでは?
人間を物に例えて申し訳ないが、日本語を知らない日本人を国内生産ですか?
基礎英語よりも、基礎日本語だと思います。そんなに英語を学びたければ、その学校に行けばいいと思います。

確かに2ヶ国語話せれば、とは自分自身思っていますが・・・
身の回りの子供たちの会話を耳にしていると、「まずは日本語が先なのでは?」と思います。
流行り言葉を使っていても、意味を知らずになんとなく使っている。
それ以前に、イントネーションのあまりの乱れ。主語の後の「が・は・の・を・に」を正確に使い分けられない。
外国語よりも、まずは日本語をもっと見直すべきだと思います。
それと、外国語を教えるにしても、もっと日本の歴史・文化を盛り込んだものにするべきだと思います。
英語の話せる日本人が一番恥をかくのが、日本の文化を質問されて何も答えられなくて「君は日本人なのに、日本の事を知らないの?」と言われることです。
「英語!英語!」と騒ぐ前に、日本語を学ぶほうが先だと思います。

英語はやりたくなった時にいつでもやれます。必要に迫られれば何語でも覚えます。野球の松井、イチロー、サッカーの中田、小野などいい例です。子どもたちには、子ども時代にしかできないことにもっともっと時間を割いてあげるべきです。なんと言ってもたっぷり仲間と遊ぶことが大切だと確信しています。
今ゆとり教育によって日本の学生の知的水準はどんどん低下しています。詰め込み教育についての批判はありますが、基本的な事項は覚えないとそれを基にした自由な発想もありえません。その上で、基本的な英語をなるべく早く学ばせるのは必要であると思います。

田舎もんのわたしには、たまに街ですれ違う外人はまだ珍しく、もし話しかけられたらどうしようとドキドキもんです。そんな時、メイアイ ヘルプユ? ヴァス メヒテン ジィ? などと気軽に話しかけれたな~と思ったりもします。
だども、小学校からの国家主導の英語教育義務化は賛成できません。
それは、まだ、頭の形が決まらないうちに複数の鋳型に頭を突き込まさせることのように思えるからです。
自分が何者でどこに足場を組み上げている者であるのか分からないうちに別のやぐらに盆踊りの稽古に行くようなものと思えるからです。
自分を自覚して自分がかけがえのないものと確信できて、自分以外の者が同じようにかけがえのないものであると感じることができると思うのです。
世界をまたにかけて飛び回るのは、その後でも十分に間に合うとおもうのです。
http://gontasnegoto.at.webry.info/200610/article_1.html
まず、日本語で自分を主張できるようになることです。
gonta

まず、日本語で難なく文章を組み立てられる頭を作らないと、他の言語は挨拶くらいは出来ても複雑な会話を理解することは出来ないと思います。英語の専門家に聞いたことがあるのですが、とにかく日本語が出来なければ英語を習っても無駄という答えでした。

反対意見が多いですが...
日本くらいじゃないかな 2ヶ国語以上話せない人が多いのは
もちろん英文法とかじゃなくて ネイティブな会話を教えてあげてほしい
私、いまだに苦労しています。英語話せると 海外も視野に出来て就職難もなくなるかも?
今の小学校は「子どもを教育する場所」というより、「子どもを教育しているかのような場所」って感じがしなくもない感じが私はします。よい学校はたくさんあります。でも今は国語・算数・社会をはじめとする教科以上に、英語などのたくさんのことが授業になってきて、その分先生の負担が増えるし、そうすると子どもの心の(精神的な)面に対するケアがおろそかになってしまわないか、とても、とっても心配です。
私が小学生だった頃は、学ぶことは国語・社会・算数・理科に音楽・体育・図工ときて、そして道徳の時間には自分の心と向き合う落ち着いた時間もあって・・・。学ぶのは勉強のことだけじゃなかったって、今はすごく思います。英語は中学生になってからでも、遅くはないと思います。むしろ中学校の英語の授業を、もっと変えたほうがいいのではないでしょうか。中学・高校で6年間も英語を勉強するのに「話せない」という、この状況こそ、どうにかしてほしいです。
バラエティ富んだ授業の中で、選択するべきものがたくさんあるのは、子どもにとってよくないかなって思います。否定的・悲観的な意見ですが、まず日本人としての言葉つかいや礼儀を教える方が、先のような気が私は、します。

私は賛成です。
英語というのはもはや世界の共通語であり、英語が話せれば様々な国の人と交流ができます。海外での仕事に就けるなど将来性も感じられます。
確かに日本人として日本語やマナーなどを覚えるのは必須です。
しかし同時進行という形で学ぶということはできると思うので、私は小学校からの英語教育は賛成します。

反対です。
「外国について学ぶ」という意味では、いろんな国のいろんな人が、
すぐ隣に住んでいることを学ぶほうに使って欲しい。
それより、年齢、性別、障害の有無に関係なく、いろんな子どもが混じって
遊ぶ「鬼ごっこ」や「缶けり」を必修にして!
好き嫌いで選ばず、そこにいるメンバーで遊んだり、自分達でルールを変えながら、
「昨日の続き」で遊ぶ、って体験して欲しいなぁ。

基本的に反対です。皆さん、国語をもっとやるべきとか、もっと習うべきものがあるなどのご意見も多いようですが、それはそれで大切だと思うんですよ。ただ、今の小学生は、大人顔負けに忙しいんです。土曜日が休みのせいで、平日の授業時間が盛りだくさん、しかも課外活動もあって、放課後の時間が少ないんです。1週間の時間をまとめて土日に取るのは大人の考え方で、子どもは毎日の遊び時間を確保してあげることが、大切なんですね。学校だけでは満足できず、習い事なども多いですよね。子ども達はいっぱいいっぱいなんですよね。教育内容ばかりに目を向けるのではなくて、もっと子どもの総合的な発達をみてあげましょうよ。遊びの中でいろいろな実体験をすることが必要なんです、子どもたちは・・・。

国語がちゃんと教育されていないのに
英語まで手をつけたら、どちらも中途半端に
なってしまうと思います。

英語のみを必修化するのはおかしいのが一点。中学・高校で必修教科は英語ではありません「外国語」です。外国語は英語・フランス語・ドイツ語の三科目の中から一科目選択性です。(地域により他の外国語を選択しても可。教員免許があるのが三科目のみと言う事)必修化するのなら「外国語」です。
政府の言っている目的が「コミュニケーションツール」としての英語を教育する事のようです。しかし、その為の訓練を受けていない教員ばかりの中学高校の英語教師に任せる訳にはいかないと思います。まず教員を養成してから実施するべき事だと思います。
第二点目として「コミュニケーションツール」としての英語を学校教育の中の評価対象にどのように組み込むのかが明確になっていません。現在の英語の評価方法は、単語の意味や品詞をいくつ覚えているか・文法を正しく理解しているのか、分詞の変化を覚えているか等で到達度を評価しています。「コミュニケーションツール」としての英語の評価は相手に伝われば良いのですから今までの評価は使えません。
そもそも中学高校で英語を教える目的は反復継続して勉強する習慣付けの為に行われてきたのですから。
もう一つ問題があります。言葉には特定の言い回しが存在します。その背景を知らなければコミュニケーションをとる際に無用な誤解を招く恐れがあります。この事を学習するには小学生は未熟です(教育学上の通説によれば)。
学校教育にコミュニケーションツールの取得を目的とした教科を組み込むことが無理だと思います。どうしても行うのであれば入学試験・学内定期試験から除外する必要があると思います。

反対します。何で今、小学生に英語を教える必要があるのですか疑問です。何でも早ければよいと言うことはないと思います。教育は、親が手本となることも必要ではないかと考えています。英語の学習も親や社会が必要となれば自然に教育の一環として組み込まれるのではないかのでしょうか。

どちらでもない
英語の発音で、日本人が苦手とするRなどは、音に対する神経伝達経路の
観点からすると、早いに越したことはないと思う。
また、苦手意識が出ないような学習方法なら、英語アレルギーにならない
年齢で始めるのもいいのでは?
日本語云々というのなら、きちんと日本語教育をすればいいだけの話。
週5日制から週6日制に戻し、きちんと学習できる時間を作る。
過去より学習力が低下しているのはなぜか? を考える方が先だろう!

どうせ教えるなら小さいうちの方がいい。授業日数をもっと増やすべきです。例えば、夏休み、冬休み、春休みを一週間ずつ短くする。それと道徳のような時間を復活して貰いたい。マナーとかエチケットのかを学ぶ時間があった方がいいと思います。

賛成です。
英語は既に英語以外を母国語とする人とのコミュニケーションとなっており、会話や読み書きができることは国際社会で生き残るために必須です。英語の発音に耳を慣らすためにも小学校でネイティブの発音を聞いておくというのは良いことだと思います。
もちろん日本語は大切です。しかし母国語として日本語を考えたとき、その知識・用例・文章量は膨大になります。ちょっと授業時間を増やしたところでたいして変わりません。英語を必修化したら日本語力が低下するというのはちょっと短絡的な結論かと思います。最近、小学校の先生が「こんにちわ」などと書いているのを見て、ついに日本語もここまで乱れたか...という気持ちになりました。日本語については子供の教育うんぬんよりも、われわれ大人がもっと正しい日本語を読み書き話せるよう毎日努力するべきだと強く感じています。

反対である。この理由を、頻度や確率を用いた視点から、少しだけ述べてみる。
①国民平均で生涯に海外旅行に行くのは、2~3回。同じく、日常で英語で何かを尋ねられることも生涯では数回。
②英語を必要とする職業に就いているのは、多く見積もっても1%以下。
③習得するのに2000時間は必要である英会話を、その10分の1以下の時間で習得する可能性を持つ子は1%以下。
④データで示すことは出来ないが、小学校教員になった理由に「英語がないから」という割合は少なくない。
以上、わかりやすいものだけを例に挙げた。現在の曖昧な理念や、整っていない教育環境で、必修化するのは反対の立場である。よく、日本人は、中・高6年間も英語を学習して、なぜ話せないのか、という問いかけがある。その答えは、「教え方がコミュニカティブでない」「読み書き中心である」「始める時期が遅い」といったお決まりのフレーズであることが多い。これは、英会話教室の宣伝には有効かもしれないが、公教育に同じ考えを持ち込むのは、賛成しない。英語を学習し、それを使い話したりすることができない人が多いのは、「使う必要が無い」ということが、最も大きな理由だと思われる。思うに、6年間学習し、話すことなどができないのは、システムが悪かったのだ、という怨念を、「早期に学習すれば何とかなるのでは?」という希望的観測にすり替え、その雰囲気が日本中に蔓延してしてしまったのではないか、と思えてならない。バレエやピアノや水泳のように、お稽古事として扱うのが、最も適していると思う。

反対です。
私は小学校のころ、父の仕事の都合で、旧西ドイツに5年間住んでいました。
幼かったので、ほとんどネイティブに近い発音を身につけることができましたが、
文法を学んだわけではなかったので、帰国したらすぐに忘れてしまいました。
その間、日本語は通信教育でかなり必死に学習しましたが、
帰国後は学校の授業についていくのに苦労しました。
国語だけでなく、社会や理科なども日本語での表現がわからず、困りました。
幼いころから外国語を学ぶことのメリットは大きいし、
英語学習の場合、私のように小学校だけ学ぶのではなく、中高でも継続して学ぶので、
学習が無駄になることは少ないと思いますが、
授業数には制限があることを考えると、まずは母国語を学んで欲しいと思います。

いつだったかのNHK教育テレビで小学校からの英語教育について親御さんを招いて意見を交わしていた番組をを見た時でした。
ある親御さんから出た意見ですけど、学校に来て英語を教える外国人の先生が言っていたそうです。
小学校からでも中学校から英語を教えても全然変わらない、と。
私もそんな気がします。
英語なんて多くの日本人にはあまり必要としない言語だから、英語を習うのに遅いも早いも意味をなさない気がします。
私が思うに、国連職員になるとか、通訳になるみたいにどうしても英語が話さなくてはいけない職業に就く以外は、外国人と会っても身振り手振りで意思疎通ができます。もっと外国人と話したいと思った時に英語力は本当に身につくと思います。自分で勉強するからです。
英語は早いうちからじゃないと身につき難いという事は無いです。
この日本にいる限り、英語は必要ない言語だと思います。現に英語が喋れなくて生活に苦労した日本人はほとんどいないと思うからです。
英語教育がちょっと早まるぐらいでそんなに大騒ぎすることは無いと思います。

反対です。私は繰り返しこの書き込みで外国語や外国にあこがれる若者達へ警鐘をならしているのですが、外国語の前に正しい日本語を学ぶ事、日本文化を良く理解する事と説いてます。日本人としての礼儀作法をまなぶことこそ国際人としての第一歩なのです。元外資系企業に勤務した経験から多くの英語やさんの日本人ビジネスマンにも出会いました。日本人としてのアイデンティティーを忘れてはなりません。外国語は必要になれば必ず覚えられます。じゃあ、あらためてどうして小学生から英語を学ぶ必要があるのでしょうか、勿論本人達には選ぶ自由などありません。親の希望ですか。英語に劣等感を持った時代の負の遺産でしょう。時代はもう変わったのです。真の国際人の要件は語学ではありません。その証拠に多くの外国人要人や知識人は母国語でプレスの質問に答えます。彼らは英語は堪能だと思います。でも愛国心があるのです。プライドが有るのです。学ぼうと思えば100歳になっても学べるのです。一部の外国崇拝者や劣等感、国際化の波に乗り遅れないようと思い込んだリーダー達により貴重な子供達の教育の時間が失われました。でも過去は過去、もう取り返す事はできません。でもこれからの未来は皆さんの力で変えられます。これから日本の将来を託す子供達の為に一度立ち止まって真剣に考えてみようじゃありませんか。皆さん。

反対です。
日本語は思った以上に乱れています。これを放っておいて英語教育はありえないと思います。まずは、日常で使う言語の修得が第一で、それから日常では使わない言語の修得だと思います。
ただ、それが中学校かと云うことになると、分かりません。どうも、日本人は統一規格が好きの様ですが、それは各小学校で決めれば良いと思います。ただそれには欠かせない条件、ネイティブの先生を選ぶ事です。極端な話、日本語を知らなくても良いと思います。そういった言葉があること、それとどうやってコミュニケーションを取ればよいのかが分かれば良いと思います。その程度で良いのではないでしょうか。

実際に海外にいると、英語が読めて書けて、でも全く話せない、聞き取れないという大学生があまりにも多いんです。国立や私立の有名校の学生でもそうです。語学を早くから始めることには賛成ですが、文法なんかより、英語の漫画や歌なんかを勉強するならいいと思うんですがね。高学年で辞書が引ける程度にはなって欲しいな。

反対です。
現在の中学からの英語教育、学校の授業のみで果たして何人が実用化できているのか疑問。
幼いうちから始めるのではなく、現在使用されてる英語を効率良く教授するように授業内容を改めるべきだと思います。
アジア圏の学校用テキストでは最初から「what's」「it's」が使用されてましたし。
小学校ではまず国語の強化を。授業時間数を20年前並に戻せるのなら、作文やディベートの時間を。
「何を」英語で伝えるか、その基礎を作る方が大事だと思います。
反対です。
貴重な授業時間を費やして中途半端に英語を教えるより、
既存の学科をもっとしっかりやって欲しい。
例えば理科の実験とか、作文とか。

water bears です。上記投稿中「必修集」は「必修」の入力誤りでした。ここにも一人基本的日本語ができてない人間がいた・・・とほほ。 :shut:

小学校で英語を必修集にすることに反対します。
一体どこをどうすると、のような考え方が出てくるのか驚いています。
何故、英語なのか。語学感覚を高めるのなら、隣国語でも、エスペラントでも、ギリシャ語でも、方言でも良いものをなぜ敢えて英語なのか。
何故、必修なのか。地方分権、自由競争、既存学力低下など取り巻く環境は、英語教育の必修化とは逆の方向を求めているはずです。
ちなみに、賛成派のご意見あがってきませんが、ぜひお聞かせ願いたい。実に興味深々です、いや本当に。
:smirk: 今晩は、私は小学校の時より外国に行きたいと夢見ていました。50数年前です。今小学校1年の女の孫がいます。国際的に通用できる人間になって貰いたいと思っています。習い事は幼い時より身につければ早く上達すると私は思います。英語教育は小学校である程度ヒャリング、を学習すれば話す事にも興味が出て楽しくなると思います。文法うんぬんより楽しく小学校から英語を学ぶことは賛成です。興味のない子供も出てくると思いますが先ずは実践してみることです。中学3年の女の子の孫は小学校の時4年位英語教室に行きましたが本格的ではなかったのかモノにはならなかったと思いますが後々少しは役立つと思います。

国立大学の共通一次試験の実施以来、文部官僚が教育システムを変更する度に学生のレベルが下がり続けています。小学生に実施した「ゆとり教育」も失敗して、小学生の大幅な学力低下と、親の所得による学力格差を発生させ、日本全土で学級崩壊が続出しています。
英語教育は重要ですが、外国語は外国で暮らせば大人になっても十分習得できます。私もオヤジと呼ばれる歳に(今はジジイと呼ばれています)タイに仕事で行った際、一週間程で日常生活で最低限の意志伝達はできるようになりました(日本に帰国したらすぐ全て忘れましたが)。
日本の子供にとって最も重要なのは国語の授業です。国語は読み書きを教えるだけの授業ではありません。教材に使用する作品によって、情操教育を兼ねています。教材を一緒に読み、こんな時人は笑い、こんな時人は泣くと、他人の感情を推測することを学び、円滑なコミュニケーションができるように教育します。時に道徳を教え、倫理感を持たせます。
日本人同士、人間同士のコミュニケーション法を学ばずに、道具として英語を学んでも使う機会がありません。ゆとり教育と言い、授業時間を減らしておいて、さらに授業科目を増やせば、子供達がいま学んでいる科目の授業内容をさらに削らなくてはなりません。学力の低下している子供達にさらに科目を増やすことが子供に新たな負担となるばかりか、給食費の支払いも滞納する親の子供と、家庭教師や塾への追加負担の出来る親の子供との格差はさらに拡大します。
安倍晋三内閣総理大臣は第165回国会における所信表明演説で、「新たな日本が目指すべきは、努力した人が報われ、勝ち組と負け組が固定せず、働き方、学び方、暮らし方が多様で複線化している社会、すなわちチャンスにあふれ、誰でも再チャレンジ可能な社会です。格差を感じている人がいれば、その人に光を当てるのが政治の役割です。」と述べられました。教育現場にあらたな格差の拡大をもたらすであろう、小学校での英語教育の一律導入は、新たな首相のもとで、廃案にするのが妥当だと考えます。

私も反対ですね。
確かに将来必要になるかもしれませんが、
正直いって早すぎます。
本当に学びたいと思っている人なら、中学からだって高校からだって
大人になってからだってきちんとマスター出来るようになるんです。
それに、伊吹さんが仰るとおり今の子供たちに必要なのは、
英語よりもまずは母国語である日本語だと思うんです。
外国で暮らすのなら別ですが、日本で暮らしていく以上、
日本語とは生涯付き合っていかなければなりません。
ですが今の子供たちの語力では…色々と不安でなりません。
世間に出てから恥ずかしい思いをするのは、
他でもない私たちの子供なんですから。
どうか考え直して欲しいですね。

私の考えは「国際的な公用語」であるから「英語」をさらに学ぶという点に疑問があるということです。確かに「国際的な公用語」というのは「現実」ですが、その言語を日常的に使用している「イギリス・アメリカ」を中心とした「国」についての認識も、おおいに学びあう教育が必要ではないかと思います。
どうしてそう考えるかというと、私が1970年頃に親しんだアメリカの音楽から感じ取っていたものと、今の「アメリカ」のイメージは非常にかけ離れています。「アメリカ中心のパラダイムの変換」という言葉は、重要だと思います。この点で、様々な国の文化を学ぶ一環としての様々な国の言葉を多く学ぶ機会を設けた方が価値があるような気がします。

反対です。まず、母国語をきちんと学ぶべき年代です。これは、年々国語力が低下していることや、正しい日本語を知らないこと・使えないことが証明しています。若者の言葉の乱れは、母国語や方言を軽んじて、教育力が低下していることの現れです。
取り入れようとしている英語を母国語とする国々から、日本語がきちんと正しく使えないことを指摘され、批判的に見られていることを知り、英語が話せないことを恥じるのではなく、正しい日本語が話せないことを恥ずべきです。
確かに英語が必要なのは十分わかりますけど、小学校では早すぎるのではないでしょうか?
学問を始めるのに遅すぎるということは無し、とも言います。
語学力が伸びないと嘆くなら中学・高校での学習方法を見直すほうがまず先じゃないかなあ

英語に触れる程度なら、やってもいいかもしれない。
中学生になる前準備として。
そうすると、苦手意識はある程度軽減され中学以上の学習で身について
くるのでは?(俺が英語を放棄した理由は苦手意識。)
でも、教科としては必要ないのではないでしょうか?
子供達は、勉強以外に小学生の時期に覚えることがあるんじゃないかなぁ。

反対。
何のメリットを目論んでの方策なのか?
早くからやりゃイイっちゅ~もんではない!
幼いうちからやらせたければ、家庭の責任においてやるべきだ。
(現にウチはやってます。2歳のムスメに市販の英会話教材で)
高校生(男子)です。
今のゆとり教育で育った世代だと思うのですが、正直に言って、今の学校授業のやり方や中身は、どの教科も中途半端な感じがしています。だから、私は、敢えて英語を小学校から必修にする必要は無いのではないかと思います。自分の国の歴史や、文学を学ぶ時間がしっかり無い中で、他国の言葉を学んで国際化というのは、ちょっと違うような気がします。