1964(昭39)年9月生。小学校時代はリトルリーグで野球に明け暮れる。1989年青山学院大学経済学部卒業、松下政経塾に入塾。(10期生)ゴミ問題の研究に没頭。1992年 日本新党旗揚げに参画。参議院秘書、党報道室長。1993年 衆議院選挙に出馬しトップ初当選。連続3期務める。2002年横浜市長に初当選。現在2期目。
人口360万を抱える横浜市。その行政のトップに立つのが41歳の中田宏市長です。「世の中の不条理を追及するのが自分のレゾン・デートル(存在意義)」という中田市長に政治家になったいきさつ、国政と地方行政の違い、職業観教育の考え方や取り組みなどについて、お話を伺いました。【編集部・代田】
不平不満を自分の中に抱え込んだまま生きていくより、社会を変えることを僕はやりたい
中田市長が政治の道に入ろうと思ったきっかけから、まずお話をお聞きしたいなと思います。
そうですね、僕は物理とか化学とか理数系が苦手だったんです。今は重要性がわかっているんですけれども、子どものときは、これが自分の将来にどう役立つんだろうとわからないまま勉強していました。その結果、成績も悪い。また興味をなくす……の繰り返しです。しかし、漠然と世の中がどう動いているのか、「自分が生きている社会はどんなところなのか」ぐらいは分かっていないと、将来何をやるかも決められないな、と思っていたんですね。それが中学生頃から始まって、学校の勉強はよくわからないけれども日々のニュースはちゃんと見る、という感じでした。
すると、だんだん疑問を持ち始めるわけです。「なんでこの件は前に進まないんだろう」「なんで世の中にこんな不公平があるんだろう」と。社会の矛盾や理解しにくいところが非常に気になってきた。それを改めるのがすごく大事だな、不平不満を自分の中に抱え込んだまま生きていくより、社会そのものを変えることを僕はやりたいな、と思い始めました。
そう思うと、それこそ入り口はいろいろあるんです。例えば代田さんのようにサイトで何かを発信するのだって、社会に働きかけをしていく上で有効ですね。それ以外にもマスメディアがありますね。それから、社会行動を研究する学者もそうであるし、あるいは市民運動を実践しながら発信していくのも手であるし、行政マンだって、ある意味ではその一翼を担っている。そして、政治家というのも社会を変える入り口の一つである。
政治の分野でも政策スタッフがいたり、秘書がいたり、いろいろな仕事があります。だから政治家そのものになりたいと思ったのは、実はあとになってからなんです。どこかで社会に対して働きかけをして、社会の理不尽なことを改めていくことに参加をしたいと思ってやっているうちに、議員秘書になり、国会議員になり、今は横浜市長として行政のトップをやっているというわけです。
政治家は、人が求めるタイミングと、自分が希望するタイミングが合わないと「誕生」しない
これは願書を出して入学試験を受けるようなものとは違うんですよね。選挙はそう見えないこともないけど、別に何かこう、募集定員があって定期的に採用しているというわけでもないし、自分がなりたいと思うだけでなれるものでもない。希望する政治家を人が求めるタイミングと、自分自身が希望するタイミングがいろいろな形で合わないと誕生しないんですよね。応募はできるかもしれないけれども、「誕生」はしないんですよね。
私自身は平成4年にできた日本新党でスタッフをしていたときに「選挙に出ないか」と打診されました。28歳でしたから、その段階では、まだ選挙に出る出ないを考えていなかった。でもそういう話をもらって、よくよく突き詰めて考えて、「これは、やろう」と心を決めた。やっぱりタイミングでしたね。
それから、社会の疑問を解決をしていく、不条理を解いていくということが、自分自身のレゾンデートル(存在意義)だと思っているんですよ。このサイトは職業の話かもしれないけれども、僕は政治家を職業だと思っていないというのがあります。他の職業と同じように見ていない。何のためにこの政治家という役割をやっているのかといえば、さっき言ったように、いろいろな世の中の不条理を解いていきたいからです。
横浜市長選挙そのものが一つ、大きな不条理だったんですよ。停滞した横浜において市長が変わらずに何期も何期もやり続けていく。多選禁止というんですけれども、長くやることを禁止したほうがいいんじゃないか。私も多選禁止論者であるし、それを見過ごすということは、横浜に愛着ある者として、自分自身の存在価値そのものにかかわってくる。勝てる勝てないという話ではなく、大義ということを考えて出馬することにしました。
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